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時代の変化とともに「男らしさ」についての感覚にも変化は見られますが、依然として「強い男性であること」への評価は高いように思われます。問題は、どのような意味において「強い」かです。今回は「聖書に登場する怪力男」であるサムソンに焦点を当て、本当に強い男性とはどのような人であるのかを考えます。(士師記13~16章)
サムソンの肉体的強さ:彼は自分に向かって来た獅子を素手で引き裂きました。(14:6)謎の解き明かしで“負けた”時には、アシュケロンの住民30人を撃ち殺し、晴れ着を奪い取りました。(14:19)妻と会うことを舅に拒絶された時には、捕まえた300匹のジャッカルにたいまつをくくりつけ、ペリシテ人の畑を燃やしました。(15:1-5)同じ時にペリシテ人たちの足腰を打って打撃を与えました。(15:8)またユダの人々によって捕まえられ、ペリシテ人に引き渡されようとした時には、縛られていた綱を解き、(15:14)ろばのあご骨で1000人を殺しました。(15:15)さらに彼はガザの町の門の扉と門柱を引き抜き山頂まで運びました。(16:3)妻デリラの執拗な(力の源についての)質問の際に、3回までは腕力を発揮してペリシテ人の捕獲を逃れました。(16:5-14)最後に、捕らえられたサムソンは(自らを犠牲にして)神殿を破壊し約3000人を殺しました。(16:29-30)
サムソンの弱さ:彼の弱さは、女性に対してのものが顕著に見られます。なぞかけの際には、妻に泣いてせがまれ謎を明かしてしまいました。(14:16-17)またデリラの、繰り返される責め立てに屈してちからの源を最後には明かしてしまいました。(16:16-17)類まれな身体能力を与えられていた彼でしたが、自らを制すること、意思を貫くことにおいては弱さを抱えていました。
サムソンの不従順:肉体的には秀でて強い彼が抱えた弱さは、神様への不従順が原因でした。両親に逆らい、異教の女性を妻に迎えたことは、律法に反することです。またナジル人として生涯を送ることが神様から与えられていた使命でしたが、汚れた物(獅子の死骸)に近づき、頭にかみそりをあてました。神様のお考えよりも、自分の気持ちや欲を満足させることを優先したのです。従わなかったサムソンは、本当のちからの源である神様を失い、“単なる抜け殻”となったのです。
まとめ:本当に強い男性とは神に従う男性である
神様のみことばに従うなら祝福されますが、軽んじるならば(神様から与えられている)ちからも失ってしまい、結果的に神様が意図されたように用いていただくことが出来なくなります。神様はサムソンにちからを与えお用いになりましたが、彼を個人的に見ると、神様への不従順ゆえに、弱さに満ちた男性と言わなければなりません。神様の主権を認め、神様のご支配に委ね従う姿勢があってこそ、その歩みは祝福されるのです。
サムソンは、(不思議なことではありますが)あれほど“めちゃくちゃなこと”をしても、神様に用いられた人物でした。新約聖書の“信仰の英雄”の一人にさえ挙げられています。(ヘブル11:32)しかし模範的な信仰者ではありませんでした。
[特に男性の皆さんへ]あなたには“ちから”があるかもしれません。或いは、(人を動かす、導く、何かを持ち、実行する等の)“ちから”を求めているかもしれません。しかし、それは神様が共におられるという現実があってこそ益あるものとなります。能力や立場を与えておられる神様を認めて従ってこそ祝福となります。神様からの能力、神様からの立場であるとの認識の中でそれが使われる時、神様の御心が行われます。逆に、自身の欲や感情によって“ちから”を振り回すなら有害なものとなってしまいます。それは、一貫性が無い、自制ができない、忍耐ができない生き方です。あなたは人(特に女性)との関係において、或いは(既婚者は)夫、父親として「強い男性」でしょうか。