本日の会衆賛美では、“賛美せよ”、“たたえよ”の表現が含まれたものを共に歌いました。礼拝では、私たちの造り主、救い主であられる神様に賛美をおささげすることが中心となります。しかし神様におささげするのはそれだけではありません。日々の生活において、私たちはクリスチャンとして神様にささげる歩みをしていくのです。(またそうすることが求められています。)メッセージの直前の会衆賛美では、私は何をおささげすることができるだろうか、という表現が含まれたものを歌いました。今回は神様へのささげものについて考えてみたいと思います。どのようなささげものが正しいささげものなのでしょうか。(ヨハネの福音書12:1~11節)
1.それは真心からのものである(3節)
犠牲を伴う: マリヤはとても高価な香油を、イエス様のために使いました。
謙遜さが伴う: マリヤはイエス様の御足に香油を塗り、自分の髪の毛でぬぐいました。
常識や周囲の評価を超越する: マリヤは周囲の反応を気にすることなく行動しました。
周囲の祝福となる: マリヤの塗った香油の良い香りは家中に漂いました。
2.それは利己的なものではない(4~6節)
損得・効率を度外視する: ユダは香油がいくらになるかを計算し、マリヤがしたことは無駄であると判断しました。
自身を誇示しない: ユダはあたかも自分は貧しい人々に配慮しているかのような発言をしました。(彼は弟子たちの出納係をしていることをいいことにお金を着服していました。)
3.それは神様に喜ばれるものである(7~8節)
評価される: イエス様は、マリヤの心もご覧になっておられ、良いことをしたと評価なさいました。
時宜にかなうものとされる: マリヤが行ったことは、イエス様がまもなく十字架におかかりになる良いタイミングのものでした。
想像を超えたものとされる: イエス様は、マリヤが意図したこと以上の(イエス様の葬りの日のためにという)意義をその行為に含んでおられました。
まとめ:あなたも正しいささげものをする信仰者になりましょう
神様は様々なものを私たちに与えてくださっています。あなたはそれらを神様のために用いているでしょうか。どのように用いているでしょうか。神様のために犠牲を払ってでも用いますか。謙虚さをもって、正しい動機で用いますか。世の中の常識に反しても、非難されることがあっても神様のために用いますか。神様から与えられたものをいつ神様のために用いますか。あなたが、神様のために何をさせていただけるか、何をおささげさせていただけるかを心からたずね求めるなら、神様はそれを示してくださいます。正しいささげものを神様は喜ばれ評価してくださいます。時宜にかなったものとしてくださいます。あなたの思い・計画を超えたすばらしいものとしてくださいます。そしてそのささげものを周囲の人々の祝福としてくださいます。神様へのささげもの・奉仕は、あなたの神様への感謝、愛、そして献身の具体化です。正しいささげものがなされる時、神様が喜ばれ、神様のお名前があがめられるのです。