娘が伝道師としての召しをいただき献身した。嬉しいとか喜びを通り越して、ビックリ!だった。年始に起こった羽田空港での事故で5人の方が亡くなられた。この事故のニュースをきっかけとして、福音を伝えることの願いが与えられた。彼女は5人が亡くなったこと以上に、地獄へ行ってしまったかもしれないことにひどく傷ついたと表現している。その後、昨年教会で催された「宣教カンファレンス」のDVDを観返し、講師の先生のお話を通して召しとその確信が与えられた。「献身者が与えられるように」とは、教会の祈りでもあった。その祈りが、このように速やかに身近なところで応えられたことの感動は、今まで経験したことのない不思議な感覚だった。神様は働かれ呼びかけられる。そしてある者はそれに素直に応答する。感動の中には、教えられること、励まされること、省みさせられること、謙らされること、色んなことが詰まっている。親として、子どもたちの生涯を神様に効果的に使っていただくことを祈り続けてきた。この段階で一人の子どもの方向性が示され、今 神様から預からせていただいている彼女をどのようにお返しすればよいかが明確になりつつあることは主の恵み。今回の主のみわざを、親子で、そして家族として喜び、神様をほめたたえることができるのも大きな主の恵み。先のことは明確ではない。でも神様が一人一人に備えられた計画は最善であるとの信仰に立ち、導き手として務めをまっとうしていきたいという思いを新たにしている。主の恵みと助けにより、そして主の栄光のために。
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