牧師の独り言 Vol.41 渡米回顧録 その⑦

(私たちにとっての)2日目の集会では、この教会の主任牧師の御兄弟である、伝道者として働いておられる先生をとおしてメッセージをうかがった。(結構早口なのですが意外と聴きやすい)心に残ったところを書き留めていこう。自らの御経験から、“伝道者は、危機管理の務めを担っている”と。アメリカ各地のクリスチャンスクールを訪れ、子供たちにみことばを語る。校長から、学生たちが問題を抱えていることを聞かされるたびに、“これこそ私がここに遣わされた意味がある”と確信する。神様のみことばによって若者の心が変えられていくために自身が用いられることに喜びを覚える。リバイバルとは何か、についてのメッセージも大事だが、むしろリバイバルのためのメッセージが必要だ。伝道者の務めの一つは、福音の純粋さを保つこと。福音は、伝道者のいのちの鼓動だ。福音とは、罪のために永遠の刑罰を受けなければならない者にとっての良い知らせ。しかし福音は、救われたクリスチャンのためのものでもある。救われてもなお罪の性質をもっているクリスチャンへの、罪のちからに対抗するためのものである。その意味で、福音とは人が救われた時に機能し始めるもの。クリスチャンが罪に勝利できないのは、自己依存のため。神様の介入を受け入れず、自身の努力で何とかしようとするなら失敗は目に見えている。リバイバルを妨げているのは私たちの罪。伝道者は“預言者”の務めをする。特に神の御心を語り、悔い改めを迫ることにおいて。(伝道者を含め)説教者は、“生きた者と死んだ者との間に立っている”という危機感を持っている。今預言者の霊(預言者的精神)が失われている。かつての説教者は語ったものだ。“今のアメリカの問題はワシントン(政治)にあるのではなく、男たちが、月曜日の夜は家で観たいと思うテレビを観ながら、日曜学校では前に立って教えていることだ。それで物事がうまく機能するはずはない”と。みことばを語る者へ:メッセージは聖書のことばを土台とし、聖書のことばに基づいたものでなければならない。信仰者としてのふるまいは、世の中で起こっていることとの関連・結びつきを念頭に選択していかなければならない。(ジーンズがヒッピーとの関連が強かった時代を過ごした先生は、ある時期までジーンズをはくことをしなかった。ある事柄は時代が変わっても避けるべきだが、ある事柄は時代の変化とともに問題とはならない。) “二重の流れ”の理解→説教者が神からの事柄(霊的なこと)を語ったり、行ったりすることもあれば、肉(罪の性質)から出たことを語ったり、行ったりすることもある。(ペテロがマタイ16章でイエス様の正体について模範解答したかと思えば、そのすぐ後でイエス様の受難については真っ向から否定し、お叱りを受けたのはとても良い例) 説教者の“成功”を見て、していることすべてを肯定はできないし、説教者の失敗や横暴さを見て、していることすべてを悪とは言えない。聞き手は、祝福として受け取るべき部分と退ける部分とを正しく見分ける必要がある。現在は、人が聴いて、“殺してやりたい”と思うような説教をする者がいない。預言者の霊が軽んじられているということだ。人が悔い改めに導かれる秘訣とは、「神のいつくしみ深さ」。この神から与えられるものに目を向けなければならない。IIテモテ3:16で、聖書は有益なものと教えられている。「教え」は、何が正しいかを教え、「戒め」は、何が間違っているかを教え、「矯正」は、どのように正しいものへと修正するかを教え、「義の訓練」は、どのように正しさを保つかを教える。説教において、この4番目が重要。最初の3つは重要だが、4つ目がなければ、十分なものとはならない。このことは神様が与えるものに目を向けさせる。そして悔い改めへと導く。それが聖化というもの。それゆえ、リバイバルとは、クリスチャンをキリスト様のもとに帰らせることと言える。キリスト様が私の中に生き、私はキリスト様の中に生きるという真実は重要。誤解してはならない。“クリスチャンは、少しずつ強くなっていき、やがて霊的に超人的なクリスチャンになる”ということはない。つまり“私は神を必要としない”という境地に達することは絶対にない。私は、常に弱い、しかし力強い方を知っている、そして私はこの方にあって不可能と思われることをさせていただく。クリスチャン生活とは、神様の介入によってなされていくもの。クリスチャンなのに、“新しくなっていない”、“神の義があらわされていない”、あんなこともこんなこともするのはどういうわけか。聖書が間違っているのか。みことばが教えていることと信仰者の歩みの“断絶”はなぜ起こっているのか。“キリスト様にあって”(In Christ)が重要なカギ。人は救われた時、霊は新しく(再生)され、新しい人となる。それゆえその部分(霊)は罪を犯さないし、犯すことができない。(Iヨハネ3:9)しかし、肉(の部分)はなお罪を犯す。それゆえ、“取り扱いなさい”と聖書は教えている。私たちは、自分の立ち位置(何者か)を神様(キリスト様)との関係において正しく認識しなければならない。(罪に対する)勝利は神様から与えられるので、それを信じ、それに基づいて行動することが必要。リバイバルのための説教はリスクを伴う。なぜなら、人はそれを嫌い、時に軽蔑するから。しかし、神様のお働きと祈りの中で、一人ひとりの心が取り扱われ、リバイバル(信仰の覚醒・復興)が現実のものとなることを信じる。(その⑧に続く)

 

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