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親や家族による子どもへの虐待や殺害の報道が後を絶ちません。多くの子どもたちにとって、家庭はもはや安心・安全な場所ではないようです。神様が定めた家族や結婚のあり方を、都合の良いように変更していく人間の罪深さの延長に犠牲となる子どもたちの存在があると思います。
今回は、聖書が教える救いの側面の一つである、神の子どもとされることについて学びます。これは、子どもとしての地位(相続人の地位)につけられることを意味しています。(ガラテヤ4:1-5)これは信じた人の中に住まわれる聖霊なる神様のお働きです。(ガラテヤ4:6)“子どもとされること”について時間的な流れに沿って考えていきましょう。
“子どもとされること”は永遠の昔から(エペソ1:5):神様は救われる人を皆ご自分の子どもとすることを永遠の昔に定められました。この神様による予定は愛によるものであり、みこころによるものです。神様はご自分のご性質を、ご自分が選び、そしてイエス様を信じる人にお与えになることもこの予定の中に含んでくださったのです。
“子どもとされること”はイエス様を信じる時(ガラテヤ3:26):人が神様の子どもとされるのは、イエス様を信じて救われた時です。これは民族の違いに関係なく与えられる特権です。すべての人は神様の創造物であるという意味において神の“子ども”ですが、イエス様を信じた人のみが神様の真の霊的子どもなのです。
“子どもとされること”はイエス様がおいでになる時(ローマ8:23):クリスチャンのからだはまだあがなわれていませんが、やがて栄光のからだをいただく時、正式に神の子どもとされます。栄化の瞬間、約束された祝福が現実となり、受け継ぐもの(そしてその素晴らしさ)を知ることになるのです。
まとめ:神の子どもらしく歩もう
日本にもある養子の制度は、法的な親子関係を成立させるものです。お互いに無関係の者同士が、親となり子となる養子の制度は、神様が、信じる人をご自分の子どもとしてくださることを説明しています。かつて悪魔の子どもとして歩んでいた人が、神様の子どもになるという驚くべき変化です。イエス様との共同相続人となったクリスチャンは、(ある意味において)イエス様を長兄とする関係となったのです。(ローマ8:29)
神様の深い愛ゆえ、子どもとされていることを覚えましょう。(Iヨハネ3:1)イエス様にあって赦され、神様と和解し、父なる神様のケアの中で導かれていることを覚えましょう。神様の子どもなのですから、しもべ(奴隷)のように歩むのはやめましょう。神様のご性質に与った者として、父なる神様の素晴らしさをあらわす歩みをさせていただきましょう。