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世界には驚異的な能力を持ち合わせている人がいます。たとえば、ある人には映像記憶能力があります。見たものを写真のように覚えることができる能力です。このような人は、上空のヘリからしばらく見た町の様子を細部まで書いて再現することが可能です。しかし人は誰も無限の能力を持っているわけではありません。むしろできないことのほうがはるかに多いのです。聖書の神様はすべてのことを知っておられるだけではなく、すべてのことがおできになります。今回は神様の全能に注目したいと思います。
I. 全能の神:その称号
神様は「全能の神」(エル・シャダイ)というお名前を持っておられます。この神様はアブラハムに語りかけられ、契約をかわしてくださいました。(創世記17:1) イサクは息子ヤコブに対してこのお方の祝福を願いました。(創世記28:3) 全能の神様はヤコブに対して祝福を約束されました。(創世記35:11) 同じ神様はモーセに対して、ご自分を全能の神としてお示しになりました。(出エジプト6:3)(創世記43:14; 48:3; エゼキエル10:5)
黙示録では、「全能の神」或いは「全能者」という表現が8回登場します。このお方は永遠のご存在です。(1:8) このお方は皆から賛美を受けるにふさわしいお方です。(4:8; 11:17; 15:3; 16:7; 19:6) 全能の神様はやがて都の神殿そのものとなられるのです。(21:22)(16:14; 19:15)
II. 全能の神:その宣言
全能の神様はアブラハムに対して、高齢の夫婦に子供を授けることができることを宣言されました。(創世記18:14) 不平を言う民を導き、疲れ果てていたモーセは、神様の御力を過小評価していました。しかし神様は彼に対して、また民に対して、あふれるほどの肉をお与えになることができることをお語りになりました。(民数記11:23)
神様はご自分が計画し望まれたことを必ず成就されること、そしてそれを誰も変更できないことを自ら宣言しておられます。(イザヤ14:24,27; 43:13; 46:10)
III. 全能の神:その賛美
全能の神様は、私たちの賛美を受けるにふさわしいお方です。(詩篇115:3) ヨブは大変な苦しみを経験し、自分の傲慢さを悔い改め、神様の全能を学びました。(ヨブ42:2) ヨシャファテ王は、このお方が無敵であることを認め(II歴代20:6)、エレミヤはその偉大さをほめたたえました。(エレミヤ32:17) バビロンの王ネブカドネツァルでさえ、全能の神様を認めて賛美しています。(ダニエル4:35)
まとめ: 全能の神を信じる者は、その信仰を行動で示す
聖書の神様にとって不可能なことは何一つありません。私たちにできることは、このお方を信じることです。しかし信じるとは、何もしないで神様がされるのを待っているだけではありません。全能の神様への信仰は行動であらわされなければならないのです。神様はすべてのことがおできになりますが、私たちができること、すべきことは、私たちにおまかせになります。私たちは、自然では不可能であること(不可能であると思うこと)が、神様の超自然のちからによっては可能であるとの信仰を行動で示すのです。神様が御心を実現されない一つの理由は、私たちが神様を信じて行動しない(自分のなすべき分を果たさない)ことにあることを考えなければなりません。全能の神様は、私たちの都合のよいように働く“便利屋”ではないのです。私たちが全能の神様を信じるのであれば、同時に祈り、動き、働く者であるべきです。