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クリスチャンはいくつかの違った意味で召しということばを使います。宣教師になった人については、“宣教師に召された”と言います。またあるクリスチャンが亡くなった時には、あの方は“天に召された”と言います。今回学ぼうとしている召しは、救いに関連するものです。この場合の召し(召命)とは、イエス様によって備えられた救いを、信じて受け入れるようにとの神様の愛による呼びかけです。この呼びかけに応じた人は“召された人”となります。
I. 召命の事実
前回学んだ選びの箇所(ローマ8:30)には、永遠の神様が「あらかじめ定めた人たち」をお召しになることが記されています。
以下の二つのことは神様において矛盾なく成立します。①神様は福音を信じるようにすべての人々を招いて(呼びかけて)おられます。②神様は救いに選んだ人々を招かれ確実にお救い(お召し)になります。
神様は呼びかけておられます。
(マタイ11:28; ヨハネ3:15-16; イザヤ45:22; エゼキエル33:11)
神様は既に召した者(クリスチャン)をとおして呼びかけておられます。
(マタイ28:19; マルコ16:15)
神様は人の救いを望まれ呼びかけておられます。(Iテモテ2:4; IIペテロ3:9)
II. 召命の目的
神様の救いへの呼びかけの目的は、単に人が良い人間になるためとか、教会の人数を増やすためではありません。
それは悔い改めのためです。神様の前において罪をもっている人間はそのままでは死と滅びへと進んでいくことになります。その事実を認めて神様の前にへりくだり、ゆるされる必要があります。そのために神様は呼びかけておられます。(マタイ3:2; 4:17; マルコ1:15; 使徒2:30,38; IIペテロ3:9)
それは信じるためです。神であられながら人となられ身代わりに死なれたイエス様を、人は“自分の救い主である”と受け入れる必要があります。そのために神様は呼びかけておられます。(マルコ1:15; ヨハネ6:29; 20:31; 使徒16:31; 19:4)
III. 召命の手段
神様のことばによって呼びかけておられます。神様のメッセージである神様のことば(聖書)を、聞いて(読んで)信じる人が救いをいただきます。
(ローマ10:17; IIテサロニケ2:14)
聖霊なる神様によって呼びかけておられます。目に見えない存在であられる聖霊が人の心に語りかけ、救いを受けるようにと招かれます。
(ヨハネ16:8; ヘブル3:7-8)
クリスチャン(神のしもべ)によって呼びかけておられます。すでにイエス様を信じた人(召された人)が自分の体験とともに、神様の素晴らしい救いについて他の人に伝えます。(ローマ10:14-15)
神様の摂理のみわざによって呼びかけておられます。神様は人々に様々な経験や境遇の中で、救われる必要を悟らせ、まことの神様のもとへ来るようにと不思議な方法で導かれます。それは神様の深い慈愛のあらわれです。(ローマ2:4)
まとめ:神様は召しに応じた者すべてに救いを与えられる
神様は人を救おうと呼びかけ招いておられます。人が救われないとすれば、それは人の意志(選択)が妨げているのです。
クリスチャンにとって確かな現実、それは神様によって選ばれたこと、そして召されたことです。(ローマ1:7; Iコリント1:9; エペソ1:18; ヘブル3:1)その素晴らしい現実を覚えて感謝し、それに相応しく歩む必要があります。(エペソ4:1; IIペテロ1:10)選んで、召してくださるのは神様ですが、クリスチャンは信仰の歩みにおいて、神様が喜ばれる選択の継続をしていくことを通して神様の選びと召しが確かなものであること、そして尊いものであることを証明していく責任があるのです。