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「お金を信じる人」が85%ほどいるようです。確かにお金がなければ生活ができませんが、お金が「神様」になってしまうとしたら大変です。クリスチャンはお金では決して買うことができないものを信仰によって手にしています。クリスチャンはまことの神様を信じ、そして信じ続けているのです。今回も前回に続いて信仰の重要性について学びます。
I. 神様に喜ばれるために信仰が必要(ヘブル11:4-6)
神様は、私たちが信じることをお喜びになります。人の側の何らかの行いや努力は、まことの神様に対する信仰の代わりにはなりません。神様を信じる人は、自分に見えているものよりも、神様がご覧になっているものを信頼している人です。旧約聖書には、神様に喜ばれる信仰をもっていた人たちのことが書かれています。神様はアベルのささげた物とともに(またそれ以上に)彼の信仰態度をご覧になりました。(創世記4:4)彼は神様に喜ばれる心でおささげしたのです。神様と共に歩んだエノクも、神様にその信仰態度を喜ばれました。このことは、彼が死を経験することなく天の国へ移されたことと大きく関係しています。(創世記5:22-24)
II. 信じないことは大きな罪
聖霊なる神様は「信じない」罪の誤りを認めさせます。(ヨハネ16:8-9)イエス様を信じることができない理由は、(少なくとも)イエス様の側にはありません。信じない人は罪に定められ、さばかれるのです。(マルコ16:16; ヨハネ3:18)神様を信じない人、イエス様を信じない人は、神様を嘘つき呼ばわりしている人であり、その態度が永遠の悲劇を決定づけることになるのです。(Iヨハネ5:20)
聖書は、信仰によらないで行うことは罪であると言っています。(ローマ14:23)また、信じない態度は、神様が働こうとされていることに制限を与えることにもなることを教えています。(マルコ6:6)
III. 信じることは歩みのちからとなる
イエス様を信じて、内に聖霊を宿す信仰者からは祝福があふれ出し、周囲に良いものを提供することとなります。(ヨハネ7:38)信じる人は他者に頼らなくてよいだけでなく、他者を助ける存在となることができるのです。
中風を患っていた人の友人たちは、障害を乗り越えてイエス様のところへ彼を連れてきました。(マルコ2:3-5)イエス様は中風の人を癒す時に、彼らの信仰をご覧になりました。このように信仰者は他者のために働くことができるのです。
悪霊につかれている娘をもつカナン人の女性は(自身が「子犬」であることを認めつつ)希望を失わずに信仰をもってイエス様に求め続け、癒していただきました。(マタイ15:28)
ローマへ行く途中にあった、使徒パウロの偉大な信仰は、生きるか死ぬかの嵐の中で輝きを放ち、同船の者達を勇気づけることとなりました。(使徒27:24-25)
まとめ:まことの神様は、信じる者を尊ばれる
世の中では、人が成し遂げた何かを評価し称賛するのが普通です。しかし、クリスチャンの信じる神様は、ご自分を信じる人を評価してくださいます。私たちが社会的に認められなくても、神様はご自分に依存することを喜んでくださいます。愚直と思われるような子供のような謙虚な態度を神様は良しとされるのです。ですから、イエス様を救い主として個人的に信じたクリスチャンは、いのちある限りこのお方を信じ続けていくのです。