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結婚において、一人の男性と一人の女性が結ばれ、一つとなって一本の道を歩むはずなのですが、今回の聖書箇所では、夫婦であるにも関わらず、まったく違った結末を迎えた二人の姿を見ることになります。箴言31章では賢い妻(女性)について記されていますが、今回とりあげるアビガイルという女性はまさにそのような人物と言えます。聡明な女性として描かれている彼女がどのようにして、生じた問題に対応していったかを学びたいと思います。
裕福であったナバルはエフンネの子カレブの子孫ですが、残念ながら彼にはカレブのような霊的質は存在しませんでした。自分たちの財産である羊たちの用心棒的な存在であるダビデの援助要請を無下に断り、ダビデの怒りを買うことになりました。ダビデと部下たちは今まさにナバルたちに攻めかかろうとしていたのです。
問題を正しく把握する(Iサムエル25章 14~17節)
ダビデたちの戦闘準備を知った若者は、ナバルの妻アビガイルに、ナバルがどのようにダビデの使者を扱ったか報告し、対応を願い出ます。アビガイルは若者の進言を受けとめました。彼女には身分が下の者からの申し出に耳を傾けることができる度量があったのです。そのことにより彼女は何をすべきかを明確にすることができました。
問題に真摯に向き合う(Iサムエル25章 18~31節)
アビガイルは問題に遭遇した時に責任ある行動をとることができる人でした。彼女は若者の報告を受けて迅速に対応しました。ダビデたちに手渡す食物を急いで用意し、ダビデのところに向かいました。この行動がなければダビデの攻撃を避けることはできなかったでしょう。彼女はダビデに会った時、ことばと行動において謙遜さをあらわしました。夫についての非難を謙虚に受け止め、夫の過ちを自分の(自分達の)過ちと認識したのです。彼女は神様を見上げつつ敬虔さをもって対応しました。ダビデに対してゆるしを乞うだけでなく(主にあって)進言しました。ダビデが王になることを確信しており、神様からの王位を(個人的な怒りによる復讐により)傷つけることがないようにとの願いを表現したのです。
問題を祝福に変える(Iサムエル25章 32~43節)
アビガイルは自分と周囲の災いを取り除くだけでなく、祝福を引き寄せることができました。彼女の対応は、ダビデを神様への賛美に向かわせました。彼女の行動は(ダビデたちが)必要のない血を流すことをとどめたのです。彼女はダビデの心を変え、結果的には(ダビデではなく)神様が正しいさばきをされることとなりました。そして彼女はダビデの妻となったのです。
まとめ:主にあって賢明な信仰者は主にあって大いに用いられる
信仰者であるなら誰しもアビガイルのようになりたいと思うでしょう。彼女と夫ナバルとの大きな違いは、主を見上げつつ問題を見て取り扱ったということです。問題が生じた時に賢く対応するためには、日頃の歩み方が重要になってきます。私たちは見えるところによって、また肉の思いで行動してしまいやすい者たちです。しかし御霊(なる神様)の思いは、常に冷静なものです。御霊に満たされている人は、御霊の思いで行動できます。そしてそのような人は周囲にとって大きな祝福となるでしょう。
私たちの生活において問題は起きるものです。問題が起きる時、問題を正しく見るために、冷静になるために、神様の助けが必要です。また問題に対処するための知恵が必要です。責任をもって行動することが求められます。問題が解決することは喜ばしいことですが、問題を否定的なもので終わらせないことも重要です。問題を神様の方法で取り扱う時に、表面的には否定的な状況であっても神様からの祝福を経験することになります。どのような状況にあっても主を見続ける信仰者、主にあって賢い信仰者とならせていただきましょう。