10月4日 賢者の歩み②

“なぜ、良い人に悪いことが起こるのか“と考えたことはありませんか。これに単純な答えを出すことは簡単ではありません。この世界を造られた神様はその答えを知っておられますが、私たちはこのお方を完全に理解することは不可能ですから、たとえ答えが与えられたとしてもそれを理解することができるとは限りません。そもそも誰が神の前に“良い人”なのでしょうか。聖書は良い人(正しい人)は一人もいないと言っています。私たちは神様の前に罪があり、死と滅びが定まっていた悪い者であったにもかかわらず、ゆるされ救われました。イエス様にあって正しい者としての立場をいただいたのです。むしろ私たちは、“なぜ、悪い人に良いことが起こるのか”と問いかけるべきではないでしょうか。
今回も“邪悪な者が繁栄し、正しい者が苦しむ”現実を念頭に、両者の対照的な道を学び、主にある賢者の幸いを確認したいと思います。(詩篇37:12~26)

I. 邪悪な人
①その姿:この篇には「悪者」ということばが10回以上繰り返されています。(10,12,14,16,17,20,21,28,32,34,35,38,40節) 彼らは(言うまでもなく)悪を行う者(1,9節)、不正をはたらく者(1節)、自己中心的に自分の道を繁栄させる者です。(7節)また正しい人に対して悪意を抱き、それを行動にあらわす者です。(7,14,32節)彼らは神様の敵であり(20節)、神様にのろわれる存在です。(22節)彼らは神様にそむく者だからです。(38節)
②その振る舞い:神なき、邪悪な人たちは、悪への執着と善への嫌悪を示し、あらゆるかたちで正しい人に対して攻撃をしかけてきます。(7,12,32節) 彼らは苦々しい妬みとともに、歯ぎしりをし(12節、35:16)、戦場にいる兵士のように、正しい人を倒そうとあらゆる手段を用います。彼らの使う剣や弓は、彼らのちからとそのちからの乱用を象徴しています。(14節)彼らは正しい人の滅びを待ち望み、躍起になっています。彼らの犠牲者は困窮した者、正しいさばきを奪われた者たちです。彼らの目指すところは秩序なき支配、不正による自治の世界です。そこには正しい人の居場所はありません。
③その行く末:邪悪な人の上には、彼らの道をご覧になる正しい神様がおられます。(13節)神様は彼らの終わりをはじめから知っておられ、そのさばきの日が来ることを正しい人に約束されます。その日(主の日)には彼らのちからは破壊されます。(15,17節)自らの策略に陥る彼らは正しいさばきを受けるのです。(15節、7:14-16) 神様の主権を前にして、彼らは無きに等しい存在です。(20節)彼らの美や栄光がどのようなものであれ、煙のように、草花のように消え失せていきます。彼らはのろわれた者として滅ぼされるのです。彼らは人生においてでさえ貧困を経験し、究極的には、神様から、そしてすべての良いものから断ち切られるのです。(21-22節)

II. 正しい人
①その姿:この篇には「正しい者」ということばが繰り返されています。
(12,16,17,21,25,30,32,39節) 彼らは、行いの正しい人であり(14節)、実直な人(37節)、全き人と呼ばれています。(18,37節) また貧しい人(謙遜な人、柔和な人)でもあり(11節)、平和の人(37節)、そして聖徒です。(28節)彼らは悩む人(9節)でありながら、神様を待ち望む者(9節)、神様に祝福された者です。(22節)
②その振る舞い:正しい人は、忍耐と希望をもって神様に信頼し、善を行います。(3-5,7節)他者の幸福に心を配り、気前よく施し助けます。(21,26節、詩篇112:5,9)それは正しい人が、自身を知っておられるお方(18節)に信頼することができるからです。
③その祝福:神様は、正しい人の乏しさは、神なく豊かであるよりも好ましいと言われます。(16節、箴言15:16; 16:8,19; 28:6)神様が正しい人を支えてくださるからです。(17節)神様は、主体的にご自分を信じる者たち(子供たち)の日々の状況に関わっておられるのです。(18節、詩篇1:6)それゆえ、正しい人は飢えるような時にも満足を経験します。(19節)神様は彼らを祝福し(22節)、その歩みを見守り導いてくださいます。(23節)この現実は正しい人にとって大きな慰めです。倒れてしまうような時にも神様が立たせ支えられるからです、(24節、詩篇145:14; 箴言24:16; ミカ7:8)晩年になってこの篇を記している(と思われる)ダビデは、自身の経験から、神様の、正しい人への忠実さ、その祝福が確かであることを宣言しています。(25-26節)

まとめ: 主にある賢者は、まことの神の主権を認め、まことの祝福を経験する
クリスチャンの賢さの一つは、視野が永遠に広がっていることです。クリスチャンにとっては、“この世のこと、生きている間のことがすべて”ではありません。またクリスチャンは、自分のの信じる神様が、いずれすべての事柄を正してくださること、正当な報いをして下さることを知っています。それゆえ、(どのような環境に身を置き、どのような取り扱いを受けるのであれ)このお方を信じ、このお方に期待し、このお方に委ねて生きることができるのです。
どのような経験の中にあっても、この現実を知っていること(の賢さ)は、すべてを支配されるお方に目を向けさせます。絶対的な神様の存在は、しばしば倒れ躓いてしまうクリスチャンをその都度立ち上がらせ、奮い立たせ、勇気づけます。
ですから、イエス様の血によるあがないによって、永遠の滅びから、永遠の祝福へと移されたクリスチャンは、主にある賢者としてそれに相応しく歩もうではありませんか。

 

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