1月13日 イエス様のもとに来なさい

生まれた赤ちゃんがハイハイを始めると、ママの後追いも始まります。それは赤ちゃんがママのことを「一番絆の強い特別な人」と認証したことの証しであり成長の一つであると言われます。しかし、寝ている時以外、常に追い回されるママにとってはとても大変な時期にもなります。
神様によって造られた人間が常に神様と一緒にいること、神様のもとにいることは「自然なこと」でした。しかし人間が罪を犯したことによりこの「自然なこと」は破壊されました。「神と人」という関係から「神と罪人」という関係になったため、人間は神様と一緒にはいられなくなったのです。また罪のある人間は神様と一緒にいることを願わない、むしろ神様から離れることを望んだのです。
神様と人間の分離は、人間の側がすべての原因を作りました。しかし、神様はこの関係の修復のために御子イエス様をこの世界にお送りになり、人間が再び神様のもとに来て祝福を味わうことが出来る道を準備されました。
神様のもとに来るとは、救い主であられるイエス様のもとに来ることです。今回はこのことについて考えてみましょう。(ヨハネ1:43~51)

I. イエス様のもとへ行くことの勧め (43~46節)
今回の箇所ではイエス様の弟子になるナタナエルに注目したいと思います。彼には、先にイエス様に従ったピリポという存在がいました。彼はアンデレやペテロと同様にガリラヤの人で漁師であったようです。
ピリポはイエス様との出会いの後、ナタナエルに会い、旧約聖書に記されているお方、イエス様に会ったことを伝えました。ピリポは“メシヤ”に会ったとは言っていませんが、ナタナエルは来られるべきお方について知っており待ち望んでいたことがうかがえます。
しかし、ナタナエルには懐疑的な考えがありました。当時、ガリラヤ人はユダヤ人の中で見下されていたようですが、ナザレ人は同じガリラヤ人からも見下されていたようです。そのためナザレ出身であるイエス様について肯定的に捉えることができませんでした。
このような中でナタナエルは、イエス様のところへ行って自分で確かめるようにとピリポに勧められるのです。

II. イエス様のもとへ行くことの祝福 (47~51節)
ナタナエルに会われたイエス様は、彼の道徳的・宗教的誠実さを知っておられました。46節の彼のぶっきらぼうな応答は、イエス様についてなされた主張について自身で確かめたいと思う(二心のない)彼の人格、そして正直で求める心があらわされています。旧約時代、イサクの息子であったヤコブは「だまして」(偽って)兄から祝福を奪いました。(創世記27:35)ヤコブのずるさはイスラエル民族(そして人類)に共通するものである中で、例外的なナタナエルの正直・誠実さをイエス様は称賛されたのでした。イエス様はこのような内面を持つナタナエルがどこにいたかもご存知でした。ナタナエルしか知らないはずのことをイエス様は彼に示すことができたのです。いちじくの木の下はしばしば律法を黙想する場所として使われていたようです。ナタナエルもその場所で神様と交わっていたのかもしれません。メシヤを待ち望みつつ祈っていたのかもしれません。
イエス様の超自然の知識(全知)とピリポの証しは、ナタナエルのイエス様に対する疑いを拭い去りました。そしてここでナタナエルによるイエス様についての素晴らしい告白・証しを聞くことになります。
イエス様を本当の意味で知ったナタナエルに対してイエス様は約束を与えられました。「さらに大きなことを見る」と。ずるさ・あざむきのために家を去らなければならなかったヤコブが(そのような状況の中で)神様からの啓示(メッセージ)を受けたのであれば、誠実なナタナエルが神様から同じように受けることはより相応しいことではないでしょうか。今後ナタナエルや他の弟子たちは、イエス様がどのようなお方かについて確証を得る、超自然のコミュニケ―ションを経験することになります。イエス様が地上においでになった目的(ミッション)は、人の必要にお応え(答え)になることです。「人の子」であられるイエス様は、天と地、神様と人との間の橋渡し役であられるのです。

まとめ:人にとって最大の、そして最善の選択は、イエス様のもとに来ることである
神様の愛の招きに応じて、私たちはイエス様のもとに来ることができました。その私たちが、今度は周囲の人たちがイエス様のもとに来るお手伝いをする必要があります。そのためには私たちの証しがカギとなります。イエス様のもとに来ることは“教会に来ること”以上のことです。またこのことは、一人一人が神様の前で個人的に決めることです。最初の段階でどのような思い・考え・動機・価値観があるのであれ、招きに応じて、教会に、また聖書のことばに心を向けることが出来た人、そして究極的にイエス様のもとに来ることが出来た人は幸いです。あなたというクリスチャンも、またこの教会もイエス様のもとへ行く、道案内役です。イエス様のもとに来ることができた恵みを感謝しつつ、人々が来ることを妨げるのではなく、後押しすることができる存在とならせていただきましょう。

 

 

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