今年 あなたがやりたいと思っていることは何ですか。またあなたが今年なすべきことは何ですか。それぞれには与えられた役割があります。イエス様を信じ救われたクリスチャンは、この役割を神様との関係において考えます。“神様は、私が今年何をすることをお望みなのだろうか”、“信仰者としての今年の私の務めは何だろうか”と。今回の箇所(Iコリント15:58)には“主のわざ”という表現が登場します。あなたにとってそれは何を意味するでしょうか。この箇所から、(役割や立場が多様である中で)イエス様につながり、イエス様をかしらとする教会に連なる者に共通するチャレンジがあることに目を留めたいと思います。
I. 堅実に主の務めを果たしなさい
私たちはイエス様によって与えられた福音の希望に「堅く立って」主の務めを果たすことが求められています。(コロサイ1:23; Iコリント15:1)
II. 一貫性をもって継続的に主の務めを果たしなさい
私たちはイエス様のみもとに行くまで、主のわざに満たされるようにと求められています。
III. 正しい動機と目的をもって主の務めを果たしなさい
私たちは究極の正当な評価をされるイエス様を見上げて主のわざに励むようにと求められています。
主のわざに励む上で大きなエネルギーとなるのは、私たちの救い主イエス様の死からの復活です。この節の冒頭で、パウロは「ですから」と言っています。この勧めの理由であるイエス様の復活の真実について彼はこの章で述べてきました。イエス様の復活に基づく、信仰者の復活の希望・約束は、主のわざにおけるすべての骨折り・犠牲を価値あるものとするのです。イエス様のお名前においておこなわれたことは、永遠の栄光と褒美の観点から、何一つ無駄ではないのです。
まとめ:今年 与えられる主の務めを主のために主にあって励みましょう
今年のあなたの務めは何ですか。それは主のわざですか。今年あなたがやろうとしていることの多くは“繰り返し”であるかもしれません。ともすれば面倒な作業としてこなしてしまうかもしれません。しかし、ささいなことであっても、“主のために、主にあって”という意識でもって行うことは可能です。そしてそれを励まされています。イエス様のもとにとどまって、イエス様のみことばに従って、主のわざをさせていただきましょう。そしてイエス様が「むだでない」と見てくださる務めの結果、実を見させていただきましょう。(ヨハネ15:5)