1月24日 真理とは何か

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https://youtu.be/zSsNFsusjXQ

クリスチャンは明らかにされた真理を知ることができることを感謝するのです。しかし、クリスチャンがノンクリスチャンに聖書の真理を絶対的なものとして紹介すると、“心が狭い、傲慢だ、排他的だ、和を乱す”等の非難をされることがあります。それでも、真理は重要です。なぜなら、聖書が示す真理は永遠が関わっているのですから。今回は「真理は何ですか」と発言したピラトによるイエス様に対する裁判の記事から、真理について学びたいと思います。(ヨハネの福音書18章28~38節前半)

(使徒ヨハネは大祭司カヤパの前でのイエス様の裁判について記していませんが)彼にはイエス様を死刑にする権限はありませんでした。そのため、この件をローマの総督ポンテオ・ピラトへと移すのです。イエス様を連れて来たユダヤ人たちはピラトの官邸には入ろうとしませんでした。ユダヤ人が異邦人の家や商売の部屋に入ると、儀式的に汚れ、7日間“隔離”されるからです。時は過ぎ越しの祭りの週であり、その食事が食べられなくなることは避けなければなりませんでした。
ピラトは皇帝テベリオ(ティベリウス)により紀元26年に長官(知事)として任命された人物です。彼は(事前にユダヤ側と接触していたはずですが)通常の裁判の手続きに入っていきました。ユダヤ人たちのイエス様に対する訴えの内容はとらえどころのないものでした。ローマの法にふれるようなことはしていないことはあきらかだったのです。(ユダヤ人たちの意図に気付いていた)ピラトは彼らの宗教的なことをさばくつもりはありませんでしたし、彼は常に自分の地位を傷つけるようなことはしたくないと思っていたはずです。しかしユダヤ人たちのピラトに対する執拗な求めは、ローマの法によってイエス様がさばかれること、つまり十字架刑であったのです。そしてそれはイエス様が予告されていたこと、みことばの成就です。(ヨハネ3:14; 12:32)メシヤ(救い主)であるとの主張にNOを突き付けられたことによるイエス様の死が、罪のある人を律法ののろいからあがなうこと、神の前に義と認めることの手段となったのです。
ピラトは、イエス様の、王位を求める者らしくない(穏やかな)振る舞いを不思議に思ったことでしょう。イエス様のあり様と、イエス様に対してなされている訴えとのギャップに困惑したことでしょう。ユダヤ人の王であるかとのピラトの問いに、イエス様は質問で返されました。ピラトのイエス様に対する問いかけが、自発的に情報を求めるものであるのか、ユダヤ人にけしかけられてのものなのかを確かめられているようです。この問いかけはピラトにとって不快なものとなったことは35節の返答で察することができます。彼はユダヤ人と同等の位置付けをされたくなかったようです。イエス様の、ご自分の「国」についての説明はピラトを当惑させました。イエス様の「国」には(地上において)軍隊もなく、物理的な拠点もないからです。その「国」は地上の政治的なこととはつながっておらず、神に反抗する邪悪な世界から出たものでもありません。ご自分の「国」の起源と性質はピラトが認識するものとはまたく違うものです。中心の質問に戻ってきたピラトに、イエス様は真理を突き付けました。イエス様は彼に無罪判決やあわれみを願うのではなく、真理を認めることを求められたのです。38節のピラトの質問の真意はわかりませんが、彼が真理に属していないことは明らかです。

I. イエス様は王であられる
イエス様はご自分が王であると主張なさいました。イエス様はこの宇宙の絶対的主権者であられます。支配の領域は無限であり、その期間は永遠です。この方によってこの世界は成りたち保たれています。そして私たちはその中に存在しているのです。あなたの人生の王はイエス様ですか。イエス様を王として認めていますか。

II. イエス様はこの世界に来られた王であられる
王であられるお方が奉仕者(しもべ)としてこの世界に来られました。「神」を示し、「人」の模範を示すため、そして人間の究極の問題の解決のために来られたのです。自ら神に背き、落ちぶれた望みのない者たちを助けるために、肉体を取られ、身代わりの罰を受けられたのです。それは天の栄光を退け、計り知れない犠牲を払うことによってです。

III. イエス様に聞き従う人は祝福に与る
道であられ、真理であられ、いのちであられるイエス様を信じる者は救われます。王であられるイエス様がこの世界に来られたことによって、私たちは神様(真実)を知ることができました。誰が神(支配者)で、人(自分)が何者かがわかったのです。また罪がわかり、その解決が与えられました。イエス様を信じたことにより、王であられるイエス様の支配下に身を置いたのです。それはイエス様の権威を認め、イエス様の教えに従うことを人生の柱に(そして土台に)したことを意味します。そしてそれは「真理に属する者」としてイエス様に聞き従う歩みが経験できる者と変えられたことを意味します。

まとめ: 真理とはイエス様ご自身である
今は、真理を追究しない時代であるかもしれません。生活のこと、自分の評判のこと、目の前のことに心が奪われ、本来突き詰めなければならないことが、なおざりにされているようです。しかし、確かな真理を持っていないことは、その人が本当の意味での自由を経験していないことに気付かなければなりません。ユダヤ人指導者とイエス様との間で右往左往している総督ピラトの言動は、損得勘定で動いている人、確かなもの(真理)を持っていないで恐れの中でもがいている人の姿ではないでしょうか。ユダヤ人たちもピラトも、イエス様をさばいているつもりでいたかもしれません。しかし実のところ、真理をもたない彼らを(彼らが有罪とした)イエス様がやがておさばきになるのです。あなたが確かな真理・真実(拠って立つ所)を与えられたクリスチャンであるならば感謝しましょう。真理によって自由にされたことを感謝しましょう。(ヨハネ8:32)世の中の、良さそうに聞こえる理屈や考え方や常識にではなく、真のみことばに注意深く耳を傾けて歩みましょう。

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