新しい年を迎え、皆さんには神様に願う事があることでしょう。このことにおける大事なポイントは、何が神様のみこころにかなうことなのかをわきまえることです。
神様は約束に関するみことばを与えてくださっています。(へブル10:23)神様は約束を誠実に守ってくださるお方であり、同時に実行するちからをもっておられるお方です。私達罪人は本来、悪魔の働きの中で、神様を信じることが出来ず、自分の欲のままに歩み、自ら不幸を招きよせる者達でした。(IIテサロニケ2:9~12)神様を信じるお手本としてアブラハムがあげられます。彼は神様からのテストに合格した人でした。長く望む中で与えられた、愛する息子イサクを、神様を信じてささげたのです。彼は高齢の自分達に息子を与えられたように、神様はイサクをよみがえらせることが可能であると信じたのです。(実際はそのようにイサクを取り戻したのではありませんが)アブラハムがそのように信じることができたのは、神様を知ることを積み重ねてきたからです。私達にもそのような信仰が必要です。どこまで神の約束を信じることができるかが問われているのです。
神様の約束には、すでに成就されたものがあります。その一つは、救い主の降誕です。この約束は、最初の人間が罪を犯した直後に与えられたものです。(創世記3:15)神様は蛇にあらわされている悪魔と女(エバ)の子孫(人々)との間に敵意を置くと仰いました。このエバの子孫として、イエス様は処女からお生まれになりました。(イザヤ7:14)聖霊により、罪のないお方として「女から生まれ」てくださったのです。(ガラテヤ4:4)イエス様は地上での御生涯の最後に十字架に向かわれました。イエス様は十字架刑においてかかとを釘づけにされましたが、悪魔の「頭を踏み砕き」勝利してくださいました。(Iヨハネ3:8)これにより、イエス様を信じる私達も悪魔に勝利することが可能となったのです。(へブル2:14-15)悪魔は最終的に滅ぼされることになります。(黙示録20:10)
イエス様はノアの息子セムの系列から誕生されました。(創世記9:26~27)神様は「セムの神」となられ、その子孫の神となられました。(へブル11:16)その子孫の一人であるアブラハムに対して神様は約束を与えられました。(創世記12:1~3)その約束の中にはアブラハムの子孫に及ぶ幸いが含まれており、その中には後にお生まれになるイエス様を信ずる者に及ぶ幸いも含まれているのです。(ガラテヤ3:16)
あらためて救い主を信ずることができた恵みを覚えましょう。そして神様が与えてくださっている約束に対して信仰をもってお応えする者となりましょう。