10月1日 福音の真理

今回の箇所に「福音の真理」という表現が登場します。それは、福音が真実であり信ずるに値するものであること、そして(与えてくださった)神様が意図された純粋な内容を説明しています。また福音が唯一無二の素晴らしい知らせであることの教理を説明しています。今回は福音の真理について三つのポイントを考えてみたいと思います。(ガラテヤ2:1~5)

I. 福音の真理の宣言(1~2節) →パウロは1章で述べたエルサレム訪問とは別の訪問について言及していますが、そこには彼の語っていること(福音)が、他の使徒たちと同一のものであることを証明する意図がうかがえます。神様の導き(啓示)に従ってエルサレムに上った彼は、異邦人に語ってきた福音を人々に提示し、またリーダー的立場にある人たち(ペテロやヤコブたちと思われる)には個人的に提示しました。それは主のために励んできた事がらが誤解され無駄になってしまうかもしれないという懸念があったからでしょう。
パウロが語ってきた福音とはどのようなものであったでしょうか。それは神様の前に罪のある者がゆるされるという良い知らせです。罪人が受けるべき罰が免除されること、神様から怒りを受けるのでなくいつまでも続く祝福を授かること、個人的に神様を知り、個人的な親しい関係を築くことが可能になることの知らせです。それは恐怖ではなく平安を、失望ではなく希望を与えるものです。空しく、無意味な生活ではなく、神様の前に益、価値、そして意味のある生活を可能とするものです。
この福音の土台は何でしょうか。それは神の御子であられる救い主イエス様の死と復活です。イエス様は罪のある私たちのために身代わりに死なれました。それは私たちのために宥めの供え物(いけにえ)となり、支払いが不可能な罪の負債をご自分のものとして処理してくださったということです。私たちの罪を背負われたイエス様は、父なる神様の怒りを受け止められました。それは神様の側の愛によるみわざです。父なる神様は御子イエス様をこの世界に遣わし、罪人の身代わりとして死なせることをよしとされました。イエス様は父なる神様の御心を受け入れ従われました。罪のないイエス様は唯一罪人の身代わりとなる資格を持たれたお方です。このようにしてイエス様はご自分を放棄されご自分を差し出してくださいました。この救いのみわざ(福音の土台)は全面的に神様の主導によるものです。

II. 福音の真理の自由(3~4節) →ある人々(ユダヤ主義者たち)は、救いは神様の恵み(のみ)によるとは信じていませんでした。(旧約聖書の)モーセの律法や儀式を守ること、つまり人の行いが救いの条件であると主張していたのです。ギリシャ人(異邦人)であるテトスが、パウロとともにエルサレムに上った際に割礼を含むこれらの条件を満たすことを求められなかったことは、それらが救いの条件ではないことが証明されたことを意味します。「にせ兄弟」と呼ばれる人々は、真のクリスチャンのふりをして教会内に入り込み福音の真理を壊そうとしたのです。それはイエス様を信じて自由になったはずのクリスチャンを再び奴隷にしようとする企みです。
ここでの自由とは何のことでしょうか。まことの神様を知らなければ様々な事がらに束縛されます。生きる意味や価値、死後のことなどは、人や世の中の考えによってコントロールされます。また言い伝えや習慣、そして伝統などにより生活がコントロールされます。罪と死の問題が解決されないまま(知らずして)滅びの定めに向かって突き進むことを余儀なくされます。それでもなお“がんばれば良い結果が得られるのではないか”というあてにならない考えを持ちつつもがくのです。クリスチャンはそれらから解放されたのです。行いによって神様の前に正しいと認めていただこうとする不可能なシステムから解放されたのです。クリスチャンは救いの条件として律法を守ること、儀式を守ること、そして守ることができないことによるのろいから自由となったのです。イエス様が十字架上で代わりにそののろいを受けられたからです。(ガラテヤ3:13)
クリスチャンの自由とは何でしょうか。それは神様の恵みによって救われた者として神様が喜んでくださることを行うことができる自由です。(救われるために何かしなければならないという奴隷的生き方から自由とされたのです)表面的には同じことをするのであっても、“神様のために”という動機に基づいてすることが可能となるのです。その自由は罪を犯すことの口実とはなりえません。

III. 福音の真理の固守(5節) →福音の真理は固く守られ保たれなければなりません。どのようにして守るのでしょうか。それは神様の恵みによってのみ、また信仰によってのみ救われるという福音の本質を常に確認することです。神様が与えてくださっている福音の真実を継続して学び、純粋さを保つことです。人の考えによって追加や削除、変更がなされないように注意を払うことです。

まとめ:私たちには決して譲ることのできない福音の真理がある →一口にクリスチャンと言っても様々です。個々のクリスチャン、個々の教会によって色々なやり方や考え方が違います。しかし、(聖書の基本教理ではない)マイナーな事がらに関しては、自分が同じようにできない、或いはしないとしても、各々のやり方、考え方を尊重することができます。しかしながら、絶対に譲れない、また寛容になることができないことがあります。それは福音が何かということ、人がどのようにして救われるかということについてです。聖書が語る救いは神様の恵みのみによること、信仰のみによることです。(言い換えれば、救い主イエス様の十字架上におけるみわざを自分のためと信ずることによってのみ神様の前に正しいと認められることです)これ以上でもこれ以下でもありません。神様が与えてくださった救いの条件に何かを付け加えたり、それから何かを差し引いたりすることはゆるされません。そのようなものは人の考えによる“加工品”でまことの福音ではないのです。私たちは改めて聖書が示す福音が何であるのかを明確に理解し、それを原点として信仰生活を継続していく必要があります。

 

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