この世界をお造りになり、すべてを支配されるまことの神様の存在を知らなければ、人は“自分と人・物事”という視点のみで生きていることになります。神様を知った人は、“自分と人・物事”の上に生きて働いておられる絶対的な神様のご存在を念頭にして生きることができます。今回学ぶパウロたちの伝道の活動においても、語る者(自分)・語られる者(相手)のみならずその上に働かれる神様の存在を確認することができます。(使徒の働き14:1~7)
I. みことばが語られるところには忠実な者たちが存在する →ピシデヤのアンテオケを追い出されたパウロたちでしたが、忠実な彼らは訪れたイコニオムでもみことばを語り続けました。イコニオムでもある人々の反対に遭いましたが、滞在して粘り強く語り続けました。反対する者たちによる石打ちの計画を知った彼らはイコニオムを去ることになりましたが、今度はルカオニヤの町で福音を伝え続けました。彼らが継続してみことばを語り続けることができたのは「主によって」です。ご聖霊なる神様からのちからをいただく時に私たちも忠実な証人となることができるのです。
II. みことばが語られるところには様々な応答が存在する →パウロたちのイコニオムにおける経験がそうであったように、みことばが語られる場面においての反応は(大まかには)二つにわかれます。正しく応答して信ずる人、誤った応答をして信じない(従わない)人です。残念なことではありますが、神様のみことばを信じない人の中には、それを伝える人々に対して、陰険な行動や暴力的な行動へと動いてしまう人もいます。日本人はみことばに対する無関心という中での誤った応答が大部分をしめているのかもしれません。
III. みことばが語られるところには神様のお働きが存在する →みことばを語る(伝道の)働きが単に人間的なものであるとするならば、結果はすべて人間の能力と方法にかかっていることになります。しかしこれは神様が命令された神様による働きです。パウロたちが反対のある中で継続して語り続けることができたのは、神様(主)から勇気をいただいたからです。ご聖霊なる神様からちからをいただく時に、人の性格や能力を超えたかたちでみことばを語ることが可能となるのです。パウロたちが語ったことにある人々が正しく応答したのは、人を使って御心を行なわれる神様によることです。人々はみことが真実であるということを、普通では受け入れることができません。もしそれが可能であるとしたら、それは神様のみわざでしかないのです。神様は忠実な者を使い、ご自分のちからにより、みことばを証しされ、御心を行なわれるお方です。
まとめ:みことばは神様のお働きの中で、忠実な者により、あらゆる人々に語られる(語られてきた) →あなたがイエス様を個人的に信じ受け入れた人であるならば、あなたはみことばを持っている人です。みことばを持っているということは、その中に示された真実・救い・いのち・救い主イエス様を持っているということであり、すべてを持っていると言っても過言ではありません。あなたはそれを喜んでいますか。それを生活であらわしていますか。それをまだ持っていない人にシェアしていますか。それにはちからがあり、神様の超自然のみわざがなされることを期待していますか。