「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」(Iテモテ1:15)
パウロが信仰の後輩であり若い牧師であるテモテへの手紙の中で記しているこのことばは信仰生活の上で重要なことです。パウロはイエス様がこの世界に来てくださり、死んでくださり、葬られてくださり、よみがえってくださり、あらわれてくださったことは真実であることを告白すると共に、自身が神様の愛に満ちた救いの計画の対象である「罪人のかしら」であると述べています。
パウロはかつてイエス様に真っ向から反対し、クリスチャンを過激に迫害していた者でした。そのような自分が救われたことは、神様がどのような人にもあわれみをあらわしてくださることの証明であること、そして今尚罪の性質をもった者でありながら、忠実な者(信頼される者)として神様に使っていただいていることを告白しています。パウロは神様の寛容なお取り扱いを覚え感謝し、賛美をささげています。(同16-17節)
私達にとって「最も大切なこと」は罪人である私達のためにイエス様が救われる方法を備えてくださったことです。すでにこの救いを受けた私達は何よりもまず神様のお考えがなされ、神様のお喜びになることを求める必要があります。神様は私達のような「偉大な」罪人を救ってくださった偉大なお方なのですから。