7月5日 主は敵の前で

私たちは公平を求めます。自分が不利益を被ったのであれば、相手にも同じことが起こることを望むのです。自分が受けたものと相手が受けたものにアンバランスが生じる時、それを黙って受け入れることは容易ではありません。
もし神様が私たちに公平をお求めになったらどうでしょう。私たちが神様に与えた損害に対して同じものを私たちに加えられるとしたらどうでしょう。感謝なことに神様は私たちに公平をお求めにはなりませんでした。神様は赦しを与えられたのです。ある人が言いました。「クリスチャンとは、赦しがたい人々を赦すことである。神があなたの中にある、赦しがたいものを赦してくださったからである」と。イエス様は、敵であった私たちを愛と恵みによって赦されました。今回はイエス様の、敵対する者へのお取り扱いから学びたいと思います。(ヨハネの福音書13章21~30節)

I. イエス様は敵対する者の存在に心を動かされる(21節前半)

11章のラザロの死を悲しんでいる人々をご覧になったとき、また12章でアンデレやピリポたちに語っているときのように、今回はユダのことを念頭に、心の動揺を覚えられました。イエス様のお心(魂)は再び狼狽とうろたえの中に投げ入れられたのです。
イエス様はご自分に背を向ける者、反抗する者、罪を犯す者に対して無感覚ではあられません。イエス様は感情をもっておられる神様です。私たちの行動や思いが、イエス様の、み思い(お心)に影響を与えるのです。私たちは日々の歩みにおいて、イエス様を喜ばせることもできれば、悲しませること、痛めつけることもできるのです。

II. イエス様は敵対する者の存在を知っておられる(21節後半~25節) 

イエス様は心の動揺を覚えられながら、弟子の一人の裏切りについて告白されました。この「あかし」は重要で厳かな宣言です。人の、そして世界の邪悪さの宣言です。(ヨハネ7:7) イエス様にとって、ユダの裏切りは驚きではありませんでした。それでいて、この事実はイエス様のお心に重くのしかかっていたのです。イエス様は弟子たちに見捨てられることに対して失望されたことでしょう。しかし、ユダの裏切りにおいて受けられた傷はより辛辣なものであったに違いありません。ご自分が信頼した者であるからこそ、その者からの仕打ちは痛みが大きいのです。(18節、詩篇41:9)
イエス様は神様ですから、人の内面を含めてすべてを知っておられます。イエス様は全知であられますから、敵対する者を即座に滅ぼすことは正当であり可能です。しかし、人の邪悪さ・罪深さを承知の上でなお人との関係作りをされることは驚きです。

III. イエス様は敵対する者を愛しておられる(26~30節)

イエス様は、裏切り者の正体を弟子のヨハネに示すために、一口のパン切れをユダにお与えになりました。(これはユダヤ社会においてはゲストに敬意を示す行為です。)イエス様は、ご自分を売り渡そうとしているユダに最後の悔い改めのチャンスを与えられたのではないでしょうか。イエス様は、間違いなくユダを最後の最後まで愛しておられました。残念ながらユダは一口のパンを受け取りはしましたが、イエス様の愛を受け取ることはしませんでした。イエス様の反抗の心が砕かれるのではなく、逆に頑なにされたのです。ユダは席を立ち闇夜に消えていきました。彼は闇のちから、悪魔のちからに完全に引き渡されたのです。(ルカ22:53)
敵対する者たち、罪深い者たちのすべてをご存知の上で、なお愛を示されるイエス様は偉大です。その驚くべき愛は、イエス様を信ずることができた私たちに今もなお注がれているのです。

まとめ: イエス様の愛ゆえ、神の敵であった者が神の友とされた

この世界への罪の侵入は、私たちを皆 神様の敵に変えてしまいました。造られたものが造ったお方を裏切ったのです。人は罪ゆえ、神様のさばきの対象となりました。そのため、神様のことを否定的に考えるようになったのです。“神とは、なにか恐ろしく、いつもわざわいを与えようとしているのではないか”と。そしてわざわいを避けるために、人はあらゆる神々を考え出しました。そうするうちに人はさらにまことの神様から遠い存在となりました。神様を怒らせ悲しませる存在となっていきました。人は心において神の敵となったのです。
しかし、イエス様はこの大きな問題の解決方法となられました。神様と人との敵対関係を終わらせ、新しい親密な関係の土台となられたのです。イエス様が仲介者となられ、神様と人との平和が実現したのです。私たちは、イエス様ゆえ神様に受け入れられ、神様のもとに帰ることができました。イエス様を信じて救われた人は神様の子どもですが、罪を犯す時、部分的・一時的にイエス様を裏切ってしまいます。その時の、すべてを知っておられるイエス様のお心の動き、痛みを想像することができるでしょうか。そのような私たちをなお愛され、父なる神様との間に立って、とりなし、仲介し、私たちの子としての立場、救いの立場を維持してくださるイエス様の愛をどのように考えるでしょうか。

 

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