11月22日 ご栄光のための祈り

※メッセージをお聴きになりたい方はこちら↓(音声のみです。)

“祈りは人間だけができる。祈らない人は人間以下だ”というようなことを言った人がいました。祈ることは大切ですが、祈る対象が何であるかはもっと大切です。クリスチャンにとって、祈る対象ははっきりしていますから、なぜ祈るのか、ということが大切になってくると思います。今回は、章全体が祈りである最初の5節を学びたいと思います。(ヨハネの福音書17章1~5節)

この章は本当の意味で“主の祈り”と言える章であると思います。この祈りを境として、イエス様の地上におけるお働きが終了し、弟子たち(信じる者たち)のためのとりなしの働きが始まっていきます。この祈りはこの福音書で取り扱われたテーマの要約と言えます。(①御子の御父に対する従順 ②死と高揚により御父に栄光が帰せられること ③御子における神の啓示 ④世からの弟子の選び ⑤弟子のこの世に対する働き ⑥御父と御子の一致をお手本とした弟子たちの一致 ⑦信者の最終目的地である御父と御子がおられる所)

最初の5節で、イエス様はご自分についての祈りをささげておられます。イエス様はご自分の死の時が到来したことを認識しておられました。(1節、12:23; 13:1)イエス様はこれまで、父なる神様の目的を成就すること、父なる神様のメッセージを伝えることに集中してこられました。そしてこの時、父なる神様のみもとに帰ることを通して、ご自分の栄光をあらわすことを願われたのです。つまり、イエス様の死こそが、イエス様に栄光を帰すことであるということです。その死により、罪を背負っていただくことになる多くの者たちから、賛美、礼拝、愛をお受けになるのです。イエス様のあがないのみわざによって、父なる神様に栄光が帰せられるのです。イエス様がご自分の栄光をお求めになるのはこのためです。(13:31)

I. 御子のみわざゆえに 御父に栄光が帰せられる: 権威の大きさゆえに(2節後半
イエス様にはすべての人を治める権威が与えられています。それはイエス様が神であられることを示すものです。権威あるイエス様は、父なる神様から与えられた者たち(信じた者たち)に永遠のいのちを与えることがおできになります。イエス様が十字架の苦しみを受け入れることは、この権威を執行することです。イエス様の王たることは、十字架においてあらわされました。十字架を通して永遠のいのちの祝福が人々にもたらされました。この福音書では“いのちはキリストにある”というメッセージが繰り返されています。(1:4; 3:15; 4:14; 5:21, 26; 6:33, 54; 10:10; 11:25; 14:6) これらの箇所は、御子イエス様の目的の中心を強調しています。その目的とは、人にいのちを与えることによって父なる神様の栄光をあらわすことです。

II. 御子のみわざゆえに 御父に栄光が帰せられる: 永遠のいのちの性質ゆえに(2節前半、3節)
御子イエス様が、父なる神様から与えられた者たちとは、救いに選ばれたクリスチャンたちです。彼等には永遠のいのちが与えられました。永遠のいのちには、父なる神様と御子イエス様を知ることが含まれています。また、永遠のいのちを持つことによって、御父と御子を知ることができるとも言えます。さらに、御父と御子を知ることは、永遠のいのちを得る手段とも言えます。私たちは、神を知ることによって自身の完成を見ます。このことは永遠のいのちを構成しています。私たちは、“神を知る”作業を、永遠かけて継続していくと言えるでしょう。

III. 御子のみわざゆえに 御父に栄光が帰せられる: 成し遂げられた務めゆえに(4節)
イエス様は地上における生涯において、父なる神様から与えられた務めをまっとうされました。この節では、すでにそれが完了されたものとして述べられています。このことにおいても父なる神様がほめたたえられるのです。

イエス様の唯一の願いは、ご自分に与えられた務めを果たす上で退けた栄光に、父なる神様が戻してくださることです。(5節) イエス様の祈りは、世界の始まる前からそうであったように、その栄光を父なる神様と共有することです。この祈りは、イエス様が、肉体をお取りになる前から存在されるお方であること(先在性)と、父なる神様と同等であられることを示しています。

まとめ: 神のご栄光のために祈れ
私たちクリスチャンは、なぜ祈るのでしょうか。私たちはさまざまなことのために、神様に祈り求めますが、それが自身の益のためであるとするなら、世の中の「神頼み」とあまり変わりはありません。私たちが祈るのは、祈りが聞かれることによって、その祈りを聞いて応えてくださった神様がほめたたえられるためです。(または、ほめたたえられることへとつながっていくためです。) クリスチャンが祈るのは、イエス様がそうされたように、神の栄光のためです。御名によって祈る祈りは、御名のための祈りでもなければなりません。私たちが、祈りの究極の目的を知るのであれば、私たちの祈りの内容、そして祈り方は変わるのではないでしょうか。

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