11月29日 主のとりなしの祈り

※ メッセージをお聴きになりたい方はこちら↓(音声のみです。)

クリスチャンの祈りの中には、とりなしの祈りがあります。他の人々のために、(代わって)神様に祈ることです。この祈りの素晴らしさの一つは、いつでもどこでも全知全能であられる神様に助けを求めることができることです。私たちには、家族でも、教会の兄姉でもわからないことが数多くあります。またできないことも多くあります。そして、“何かお手伝いをしたい”と思っても、どのように、またどのタイミングでするべきなのかわからないこともあります。しかし、とりなしの祈りによって、ある方のことを(すべてを知っておられ、すべてのことがおできになる)神様に委ね、神様に働いていただくよう願うことができます。このように祈り、また祈られることはクリスチャンの特権です。そして幸いなことは、イエス様も私たちのためにとりなしの祈りをしてくださっていることです。今回は、イエス様の弟子たちのための祈りから、主のとりなしの祈りについて学びたいと思います。(ヨハネの福音書17章6~19節)

受けられる苦しみは起こるべきこと、そして勝利は確かであることを知っておられたイエス様は、ご自分のことよりも弟子たちのことを気遣っておられました。不安定で、失敗するであろう(実際そうであった)彼らが、それでも父なる神様によって強められ、将来における働きのために立たせられるという確信とともに祈られました。
弟子たちは不完全な者たちではありますが、父なる神様によって世から選び出され、イエス様を信じ、イエス様に従いました。彼らはイエス様を通して父なる神様を認識しました。彼らは父なる神様のものとなったのです。
今、彼らには信仰のテストが迫っています。イエス様は迫害や苦しみによって、彼らが主から、そして互いに、引き離されないようにと祈られたのです。

I. 弟子たちの護りのため(11節後半~12節、15節)
イエス様は、父なる神様の聖さのご性質を根拠として、リクエストしておられます。神様のお名前は神様のちからとご性質を説明するものです。イエス様は、神様の永遠のご性質を基として、弟子たちの永遠の護り(セキュリティ)を祈られたのです。
何からの護りでしょうか。それは神様との関係において破滅的な滅びへと向かうところからです。霊的に脱落してしまうところからです。弟子たちがこの点において、引き離されることがなければ、彼らは一つとなることができるからです。敵対する世を前にして、イエス様に対する愛をもって、また互いに対する共通の愛と調和をもって一致が示されるからです。弟子たちに対する(この時の)御心は、この世から取り去られることではなく、この世にとどまって、聖霊の助けのうちに、真実の証しを続けていくことなのだからです。

II. 弟子たちの喜びのため(13節)
イエス様は弟子たちが保護されることのみを祈られたのではありません。(家庭内の子どもが親の保護があればそれで充分というわけではないように。)イエス様は彼らの“安全”だけでなく、どのような状況にあっても喜びをもつことを祈られました。(15:11; 16:22,24)御子イエス様と父なる神様との間には喜びがありました。その(同じ類の)喜びが弟子たち中において満たされることを望まれたのです。イエス様にあって、父なる神様に受け入れられていること、神様のものとなっていることの事実はまことの喜びをもたらすのです。そしてその事実は目の前の困難や苦しみを乗り越えるちからとなるのです。

III. 弟子たちの聖別のため(17~19節)
イエス様のもう一つの祈りは、弟子たちが良い目的のために取り分けられることです。イエス様を信じたクリスチャンは、立場としては、邪悪なものから神へと取り分けられています。このことが状態においても(現在進行形で)保たれなければなりません。神様のみことばはクリスチャンの聖別を可能とします。みことばの真理によって信仰者として成長を続けることができるのです。みことばの教えにより、不純物が取り除かれ、神様のために良い実を生み出す者と変えられていくのです。そのようにして、遣わされているこの世においてイエス様の栄光のためにそれぞれの務めを果たしていくのです。
イエス様は弟子たちの(そして私たちの)ための働きの実現のために、ご自分を父なる神様におささげになりました。イエス様は、完全な意味で祭司であられ、いけにえであられます。この自発的な犠牲は絶大な効果をもたらしました。そしてこのイエス様の献身の模範は、私たちの聖化、献身、成長の標準となるものです。

まとめ: 主のとりなしを覚えよ
イエス様の弟子たちのための祈り、それは彼らが霊的に護られ、元気に、成長し続けることでした。イエス様は、私たち一人一人も覚えていてくださり、とりなしていてくださっていることを忘れてはなりません。父なる神様の前に、私たちのことが話題にのぼっていることを想像してみましょう。私たちの悩みが、痛みが、重荷が、重要なこととして取り扱われていることを想像してみましょう。父なる神様、そして御子イエス様が、私たちの日々の歩みに関心を持ち、顧みておられることを覚えましょう。私たちは、父なる神様によってこの世から選び出され、御子イエス様に委ねられたゆえに、神様の前においては尊い存在なのです。
イエス様がとりなしておられるのであれば、神様の護りの御手の中にあって自分の責任を果たし、主にある喜びを常に見出し、より聖い歩みへと、信仰の成長へと努めようではありませんか。とりなしておられる主をお喜ばせし、栄光を主に帰す歩みを追求しようではありませんか。

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