イエス様がこの世界に来られた目的は、罪人の身代わりとして死ぬためだけではありません。まことの神様がどのようなお方であられ、神様に造られた人がいかに生きるべきであるかを示すためでもあります。今回はイザヤ書にある4つの「しもべの歌」の一つを取り上げ、おいでくださったイエス様に注目します。(イザヤ42:1-7)
I. 仕えるお方:しもべ(1節) →この章は「見よ」で始まります。他のことから目を離しこのお方に注目するよう呼びかけられています。依存しておられる父なる神様から、イエス様は重要な任務を与えられています。繰り返される「わたし」という表現が御父と御子の密接な交わりを表現しています。新約において、イエス様は御父の御心を行うことを最も重視されました。(ヨハネ4:34)しもべとして仕えることは、弟子たちの足を洗うこと等を通して教えられ、模範を示されました。(ヨハネ13章; ルカ22章)御父に対する従順、そしてしもべとしての歩みは十字架の死に至るまで貫かれていました。(ピリピ2:7)
II. 選ばれたお方(1節) →イエス様は、御父がすべてのことにおいて継続的に満足され、喜ばれるお方です。新約において、イエス様のバプテスマの際にそのことが明確に表現され(マタイ3:17)、イエス様の変貌の際には「わたしの選んだ者」(ルカ9:35)と言われています。(パウロの告白はエペソ1:6、コロサイ1:13参照)
III. 霊が授けられたお方(1節) →霊が授けられることによってイエス様は装備され、御父からの任務を果たしていかれます。新約においては、バプテスマの際に御霊が下ったこと(マタイ3:16)、御父から御霊を無限に与えられた(ヨハネ3:34)ことが記されています。(ヨハネ1:32-33; イザヤ11:2; 61:1; 使徒10:38参照)
IV. 正義(さばき)をもたらす(示す)お方(1、3-4節) →霊を授けられたイエス様は諸国に神の正しさをお示しになります。真実であられるお方によって正しい判断、裁判、審判が忠実に執行されます。正しいさばきの完了は将来においてです。
V. 静粛(紳士)なお方(2節) →イエス様の穏やかさ、静かさ、柔らかさ、謙遜さが表されています。新約において、その現実をことばと行動とにおいて表現されました。(マタイ11:29; Iペテロ2:23)
VI. 寛容なお方(3節) →3節は群れを気遣う牧者の状況が描かれているようです。(イザヤ40:11)イエス様は弱っている者たち、おとろえている者たち、圧迫の下にいる者たちの世話をしてくださいます。死にかかっている者たちを滅ぼさないだけでなく、救いを提供してくださいます。パウロ、そして(三度イエス様を否定した)ペテロはこのお方の寛容さを経験しました。(Iテモテ1:16)
VII. 契約となられるお方(6節) →6節はイスラエルの将来について強調されています。イエス様は完全な契約の仲介者としてイスラエルの民に救いを与えてくださいます。(ヘブル8:6, 10-12)やがて民が再び集められ約束の地に戻ってきます。(イザヤ44:26; 49:8) 5節に記されていることはこのことの確かな土台です。世界の創造主であられるお方は、メシヤであられるイエス様によって、御心を確実に成就してくださいます。
VIII. 光なるお方(6-7節) →6節からは御父が御子に直接語りかけておられます。光は救いの比喩表現です。イエス様は生まれつき罪の暗闇にいる者たちを照らし、霊的・肉体的解放を実行してくださいます。イエス様がお生まれになってまもなく、シメオンはこのお方を認識しました。(ルカ2:32)イエス様はイスラエルだけでなく全世界のメシヤとしておいでになりました。そして現在全世界に福音を伝えることの大命令をいただいた教会が光となることを受け継いでいるのです。(将来の王国においてイスラエルは国々の光として用いられる―イザヤ49:6)(マタイ4:13-16; 11:5; ルカ4:18参照)
まとめ: 来られた救い主の素晴らしさを覚え、神様を賛美しましょう