すでに「救い主降誕の目的」について二つのことを学びました。一つは、神様の住まいを設置するためであり、もう一つは、神様を現わすためです。今回はこれに加えてさらに二つの目的について学びます。
救い主イエス様のご降誕の目的は、神様のお心を行うことです。神様は人ができないことを完全に実行されました。人は罪人であり、罪についての償いができない者です。その結果 神様との親しい関係も築くことができません。しかし、人となられた神の御子、主イエス様によってその解決がなされました。旧約時代において、罪の清算は動物をいけにえとしてささげることによって行われてきました。それは仮のものであって、神様が満足されるものではありませんでしたが、イエス様がからだを持たれたことにより、そしてそのからだがささげられたことにより、神様の御心が実行されました。(へブル10:5~7)イエス様にとって、父なる神様の御心を行うことは、活力であり、喜びであり、楽しみです。(ヨハネ4:34)イエス様が御心を行う―罪人の身代わりとしていけにえとなる―ことにより、罪人が救われる道が備えられました。人が神様と共に住むことができるようになったのです。イエス様は父なる神様に従ってくださり、人には不可能なことを人の代表者として実行されました。それが罪人のためのあがないの死です。(ピリピ2:6~8)
救い主イエス様のご降誕のもう一つの目的は、罪人を救うことです。(Iテモテ1:15; ルカ5:32; 19:10)イエス様は死ぬために受肉され、父なる神様の要求に応じ、人の必要を満たされました。イエス様は罪に対する、父なる神様の怒りをすべて受け止めてくださいました。(ヨハネ3:36; Iヨハネ4:10)イエス様は、人に仕えるお方、与えるお方としておいでくださいました。(マタイ20:28)イエス様の誕生、それに続くあがない、身代わりの死は、人に永遠の救いをもたらしたのです。(ヨハネ3:16)
クリスチャンはお生まれになったイエス様を信じています。では、信じたことが、自身の生活に反映しているか、また周囲に伝達されているかを考えてみましょう。