人として誕生されたイエス・キリスト様の肉体的な母親となったマリヤの、妊娠中の賛美(賛歌)を前回から学んでいます。彼女の告白は先を見通すことができない中での信仰者としての正しい姿勢を教えてくれます。前回はマリヤの二つの告白―私は神様をあがめます、私は幸せ者です―を見ましたが、今回はもう一つの彼女の告白から学んでみたいと思います。(ルカ1:49節後半~55節)
III. 私は神様に期待します:神様をあがめ、神様にある、自身の幸いを確認したマリヤは、さらに神様に信頼しています。それは神様がどのようなお方で、何をしてくださるのかという認識に基づいています。
A. 聖い神様 →先ずマリヤは、神様の「御名」は聖いことを述べました。神様のお名前は神様の御性質を反映しています。神様の思い・考え・動機は完全に純粋なものです。神様は私たちに常に良いこと(が起こること)を望んでおられます。同時に神様は私たちに聖さをお求めになられます。(詩篇111:9; 黙示録4:8)
B. 憐れみ深い神様 →神様が聖いだけのお方であられたら、私たちは神様と関わりをもつことはできないかもしれませんが、神様は憐れみを好まれるお方でもあります。(ホセア6:6; マタイ9:13)神様は表面的なことのみで対応されるお方ではなく、私たちの心の思いを汲み取ってくださるお方です。特に、神様をおそれ敬う者に対する神様の憐れみは豊かです。(詩篇103:17)日々の歩み(決断・行動)において、神様を尊重する者に神様は目を留めてくださいます。
C. 全能なる正しい神様 →私たちには力強い神様がおられます。ですから私たちは前進できるのです。(詩篇98:1)この全能なる神様は、完全な正しさをもって人々を取り扱われます。神様の前に高ぶる者、神様をないがしろにした中で権力をもつ者、神様を無視する金持ち、これらの人々はいずれも神様によってさばかれることになります。一方、神様の前にへりくだる者、自らの貧しさを認識する者を神様は引き上げてくださり、真の豊かさを与えてくださいます。(Iサムエル2:6-8; ダニエル4:33; ルカ18:14; ヨブ5:11; イザヤ2:11-12; 箴言3:34; ヤコブ4:10; Iペテロ5:5; 詩篇107:9; 34:10)
D. 真実な/忠実な神様 →神様は約束を守ってくださるお方です。マリヤは、神様がアブラハムを含む先祖に対して約束されたことを実行されたと宣言しています。アブラハムの子孫としてお生まれになったイエス様によって、確かに人々は真の幸いをいただくことができるようになりました。神様はご自分の発言に責任をもってくださり、御心の時に、御心の方法で実行にうつしてくださるお方です。(ガラテヤ3:16; 詩篇98:3; ミカ7:20; 創世記22:18; 使徒3:25)
まとめ:まことの神様を知る者は、常に前向きになることができる充分な理由をもっている →マリヤはイエス様の誕生と死に立ち会った唯一の人物と言えるでしょう。彼女は人としてお生まれになったイエス様を息子として迎え入れ、また罪人の救い主として死んでいかれるのを見届けました。ナザレの名もない一人の少女の人生は大きく変わることとなりました。このような中でマリヤが前向きになることができたのは、神様に目を向けたから、そしてその神様を深く知っていたからにほかなりません。
年末を迎えました。今年の神様の恵みを思い出し、数えてみましょう。神様がどのようなおかたであり、自分に何をしてくださっているかというデータを蓄積しましょう。それがあなたの信仰生活を豊かなもの、力強いものとします。来年はどのようなことが起こるか私たちにはわかりません。健康のこと、仕事のこと、子育てのこと、経済のこと、老後のこと…心配はつきないものです。現実は厳しいかもしれません。しかし、クリスチャンは生きて働かれる神様がおられる現実を知っています。その現実を認識した上で、信仰をもって臨むならば、正しい意味での楽観主義者になれるのではないでしょうか。あなたにも、マリヤのように告白できる充分な理由があります。日々神様の前に「あなたをあがめさせてください、幸いな者であることを覚えさせてください、あなたのみに期待させてください」との祈りと決意を更新しましょう。