Iペテロ5:5で使徒ペテロは若い人たちへの服従の勧めをしています。ペテロは地上を歩かれたイエス様の身近で過ごした一人でしたが「服従」という点において必ずしもお手本となるような存在ではありませんでした。彼はイエス様の十字架刑の前にイエス様との関係を否定することでイエス様を遠ざけイエス様に従うことができませんでした。またイエス様の復活後もガリラヤでイエス様を待つのではなく漁に出てイエス様から遠ざかり結果的に従順を実行することが出来ませんでした。そのような彼が自分の苦い経験を踏まえて手紙を書いています。
ペテロは同じ手紙の中でイエス様の十字架の死こそが服従の究極の模範であることを述べています。(Iペテロ2:18以降) 不当な取り扱いを受ける中での忍耐、神様に委ねる態度、罪を離れ、義のために生きること等は神様への服従の表現です。イエス様のお手本にならって歩いていくことは救われたクリスチャンの大きな存在理由です。かつて飼い主がいない羊のようにさまよい従うことができなかったクリスチャンが従うべきお方、イエス様のもとに帰ることができたのです。このことを理解する時にへりくだることができ、一切の配慮をしてくださる神様に信頼することが出来るのです。
私たちは神様に従うという信仰に立ち、日常生活において、親・夫・教師・上司・牧師・国のリーダー達といった従うことが求められている存在に対して従順であることを神様は喜んでくださいます。