人は、救い=幸福・安楽を求めます。しかし、人が他の人に対してできることには限度があります。人が提供できる救いは一時的であり、部分的であるのが現実です。すでに主イエス・キリスト様が復活されたことにより、イエス様には罪がないことが示されたことを学びました。今回はイエス様の復活は、イエス様が救い主であられることを示していることについて学びます。
①神の約束に基づく誕生(使徒の働き13:23-30):イエス様は神様の約束にしたがって与えられた救い主です。イエス様はこの世界に遣わされ、死なれただけでなく、復活されました。これを信じない人にとっては、イエス様の復活は「なかったこと」になっており、その結果「イエス様には救いはない」ということになっています。しかし、イエス様は救い主として誕生されました。(ルカ2:11)イエス様の地上における肉体的癒し等の奇跡は部分的な救いのみわざであり、永遠の救いを与えることがおできになるお方であることの証明でもあります。サマリヤの人々が、神様のことばを聞き、イエス様を救い主として信じたように、このお方に対する信仰によって救いは適用されるのです。(ヨハネ4:42)これは救いの第一段階で、罪がゆるされ、罰が免除され、神様の前に義と認められ、神の子として受け入れられることを意味します。
②教会の救い主(エペソ5:23,26-27):イエス様はご自分を信じる者の集団である教会のかしらであられ、からだである教会の完全な救い主です。イエス様は教会(そしてそこに連なる一人一人)を常に愛し、護り、きよめてくださいます。クリスチャンは救いの第二段階において、なお罪の性質を持ち、罪の世にある中で、罪の力からの救いを経験させていただくことができるのです。イエス様の復活は教会(そして一人一人)が健全なものとして建てあげられることのためでもあったのです。イエス様は復活されたお方であられるからこそ、常に生きて私たちのために働くことができるのです。(へブル7:25)
③救い主として再来される(ピリピ3:20-21):クリスチャンのからだがあがなわれること(救われること)は将来実現します。(ローマ8:23)欠陥の全くない、また罪の性質のない状態、それは救いの第三段階、救いの完成です。その時イエス様の栄光のからだに似た者とされるのです。 天に国籍を持つクリスチャンはその時を待ち望んでいます。
復活されたイエス様による救いの力を過去・現在・未来において経験させていただいている(いただける)私たちはどれほど神様に感謝すべきでしょうか。