“マケドニヤからの招き”の幻を見たパウロはトロアスからピリピへと向かい、テサロニケ、ベレヤ、そしてアテネまで伝道の働きを進めてきました。そして今回はコリントへと足を踏み入れます。使徒の働きの主要テーマの一つである、みことばを語る働きについて今回も学びます。(使徒の働き18:1~17)
I. みことばを語る働きの方法 (1~5節) →当時 人口は20万人以上に達していたと言われるコリントは、政治的・経済的に重要な位置にあり、陸路・海路の要衝で豊かな町でした。その一方で女神アフロディテ崇拝の中心でもあったコリントは、不道徳の代名詞のような場所でした。パウロはコリントでアクラとプリスキラの夫妻に会います。彼らはローマ皇帝の命令によりローマから退去することを余儀なくされた人々でした。
①仕事をしながらみことばを語る:パウロは同業者であった彼らの家に住み、共に天幕作りの仕事をしました。安息日には会堂へ行き、みことばを論じ、ユダヤ人やギリシャ人を納得させようとしました。現在でも仕事をしながら教会の働きをしている人が多くいます。職を持っている人、持っていない人に関わらず、私たちのいるところが宣教地なのです。
②みことばを語ることに専念する:後にシラスとテモテが合流しました。それ以後パウロはみことばを教えることに集中します。シラスたちはテサロニケのクリスチャンたちの励ましとなる知らせとともに、ピリピからの献金を運んできました。これによりパウロは天幕作りをして生計を立てる必要がなくなりました。
II. みことばを語る働きの結果 (6~8節) →パウロはユダヤ人たちに、イエス様が、彼らの待ちわびたメシヤであることを語りました。
①ある者たちは反対する:ユダヤ人たちは言葉の暴力をパウロにあびせました。パウロは自分がユダヤ人に対する責任から免除され、以後は異邦人に向かうことを宣言しました。
②ある者たちは受け入れる:会堂を去ったパウロは、(会堂の隣にあった)テテオ・ユストの家に行きました。ここがコリントにおける教会の最初の集会の場所となったようです。会堂管理者であったクリスポとその家族や、多くのコリントの人々が信者となりバプテスマを受けました。
III. みことばを語る働きの原動力 (9~17節) →第二次宣教旅行を進めているパウロは、伝道における反対がある中で、自分の働きに疑問を持ち始めていたのかもしれません。そのような中で彼は神様からの幻を見せられます。
①主の命令:パウロは幻によって「恐れないで、語り続けなさい、黙ってはいけない」という命令を受けました。みことばを語ることは神様からの召命であることを再確認させられました。
②主の励まし:パウロは後にコリントへの手紙の中で、当時自分が「弱く、恐れおののいていました」(Iコリント2:3)と告白しています。伝道の働きの中で気持ち的にはダウンしていたのかもしれません。またパウロが経験した「肉体のとげ」(IIコリント12:7)はこの時期のものかもしれません。主は、精神的・霊的・肉体的に落ち込んでいたであろうパウロに、この町で共にいて護ってくださる約束とともに、収穫の約束もくださいました。幻を与えられたパウロは1年半の間コリントでみことばを語り続けました。そして神様はその結果を与えられました。(Iコリント1:4-7)
③主の摂理:パウロに対するユダヤ人の反対は続きました。彼らはガリオが地方総督であった時にパウロを法廷に連れていき訴えました。ガリオはユダヤ人たちの訴えの理由が、犯罪ではなく宗教的なことであることを見抜いていました。彼はユダヤ人たちの訴えを退け、裁判を行うことを拒否しました。ガリオの決定に憤慨したユダヤ人たちは会堂管理者ソステネに暴力をふるいました。結果的にパウロのコリントにおける働きに支障が出ることはありませんでした。神様はご自分の計画を実行するためにあらゆる状況を整えてくださいます。
まとめ:神様は弱さのある私たちをみことばを語る働きに遣わされる →私たちが、イエス様を信じていない家族の中で信仰を持ち続け、証しを続けることができるとしたら、また神様が導かれた宣教の場所にとどまり、働きを続けることができるとしたら、そしてまことの神様を知らない、信じない人々の中で信仰に立ち、証しを続けることができるとしたら、それは主イエス様にあってのみ可能です。パウロでさえ弱さを覚えました。私たちも弱さを覚えます。私たちはしばしば恐れる者であり、語れない者であり、黙してしまう者です。神様はそれをご承知の上で、私たち一人ひとりに宣教の命令と励ましをお与えになっています。私たちは、カルバリの丘であらわされた神様の大きな愛に素直に応答する時、神様からの使命にお応えしていくことができます。