6月21日 恵みの回顧

6月も後半となり、本来ならば梅雨の真っ只中で、どんよりした天気も多いと思うのですが、今日はカラッとした空気と晴天の聖日を主が与えて下さいました。

先週も、主が豊かな護りと恵みを持って兄姉お一人お一人と共に歩み、導いて下さったことを覚えて感謝、賛美します。私たちの歩みには思いもよらぬこと、想定を超える出来事などが時として起こります。その時、私たちはつい目の前の事だけにを目を向け「なぜ?」と神様に対して問いたくなってしまう弱い者です。それでも、神様の御手の中ではいつもすべてが想定内であり、神様のご計画と御心は完全であることを忘れてはいけないのだと思わされるのと同時に、私たちはそんなお方の御手の中で、今日も霊肉共に生かされており、このお方に信頼を置くことを許されている事がどんなに幸いであるかを覚えるのです。

さて、今日のメッセージはヨハネ13:1~11から「主の愛は洗足にて」というテーマで語られました。十字架にかかられる前、主が弟子たちにされたこと。それは、弟子たち一人一人の足を洗うという驚くべき事でした。弟子たちにとっては、これが最後の食事の交わりになるとは誰も想像できなかったわけですが、全てをご存知の主はご自分がこれから受ける受難の全工程を見通しておられました。

私たち人間は、自分に起こる苦しみや悲しみを殆ど知ることなく、その状態に置かれます。もし、自分に起こる全ての苦難を知っていたら、私たちはそれを避けて通ろうとするでしょう。しかし、主は多くの苦しみの後に、十字架上で罪人の為に身代わりとなって死ぬこと、そしてそれがどんなに辛く悲しい事なのかという事を全てご存知の上で、その苦難の道を避けて通ることなく真っすぐに進もうとしておられました。そのような中で『主イエス様がご自分に従い、共に歩んだ弟子たちを最後まで、また最高の範囲でもって愛された』とメッセンジャーはおっしゃいました。

エレミヤ31:3で「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」とあります。この御言葉での主の最高の範囲の愛は「永遠」と語られているのは驚くべきことです。そして、その愛は十字架の上で最大限に表されるのですが、その永遠の愛の中に、この洗足という部分も含まれる事の素晴らしさを、改めて教えられました。

洗足は十字架を前に示された主の謙遜、献身、受容、準備、自発的という主と人とに仕える、奉仕者としての大切な模範でもあり、またこれからご自分が十字架にかかることによって、罪人にもたらされる罪のゆるしときよめ、そして神様との素晴らしい関係を持つことができる事をあらわすものでした。

またこのイエス様の愛に満ちた究極の奉仕により、人の究極の問題である罪と死の問題は解決されました。救われたことがどんなに素晴らしい事なのか…いえ、素晴らしいという言葉では表現できない、とてつもなく重く、広く、深いものなのかを感謝し続ける者でありたいと思います。

主は永遠の愛を持って私たちを愛し、私たちに対して誠実を尽くし続けて下さるお方です。私たちも、主の愛の行動、そして謙遜、献身、受容、準備、自発的という大切な模範をいつも心に留めつつ、愛と誠実を持って主と兄姉、また人々に仕える者とならせて頂けますように。

 

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