イエス・キリスト様は事実 死から復活されました。イエス様の復活によってあらわされたことの一つはイエス様が、神の御子であられるということです。(ローマ1:3-4)“神の御子である”というイエス様の主張は当時のユダヤ人たちにとって、神を冒涜するものであるという理解であり、結果的に十字架刑へとつながっていきました。
父なる神様はイエス様を「わたしの愛する子」と宣言なさり、常に愛される存在であることを明確にされました。(ヨハネ17:5)イエス様ご自身もヨハネ5:19-29の中で、ご自分が神の御子であられることを宣言しておられます。この箇所で霊的に死んだ者が神の御子の声を聞いて生かされること(25節)、御子の声を聞いて肉体的に死んだ者が生かされること(28節)、御子にさばきの権威があること(27、29節)等をお語りになりました。
神の御子であられるイエス様を拒絶する大祭司たちは、なおイエス様を十字架に付け続ける罪人の姿をあらわしています。(マタイ26:63-66)罪人たちは罪の全くないお方を罪に定めて殺すに至りましたが、神様はイエス様をよみがえらせてくださいました。このことにより父なる神様は肉体的な部分をも含めてイエス様が神の御子であることをあらわしてくださいました。(使徒13:26-33)私たちはこれらのことが記されたみことばにより、イエス様が神の御子であられることを知り、信ずることができました。(ヨハネ20:31)信じた者は「神のこども」とされています。(ヨハネ1:12)そしてイエス様の復活に基づいて、神様のみわざにより、神様の性質をいただく者とされています。(ヨハネ1:13)
私たちクリスチャンは立場として神の子であると共に、聖霊なる神様に導かれることによって、実際の状態においても神の子らしくあることが求められています。(ローマ8:14)みことばによって私たちは外から働きかけられ、聖霊によって内側から働きかけられます。聖霊なる神様のご存在により、私たちは自分が神の子であることの平安と確信を持ち、さらに御子イエス様と共に神様のお名前・事業を受け継がせていただく者たちとされています。(ローマ8:15-17)私たちには、イエス様の復活を表現すること、イエス様が神の御子であられることをあらわすことの使命があります。この使命の重みを認識し歩む者でありたいですね。