「キリストのうちにある」人は、イエス・キリスト様を唯一の救い主として信じ受け入れた人のことであり、新しく創造された人です。(IIコリント5:17) 神様の創造の後、間もなく罪がこの世界に侵入しました。罪とは受け継がれていくものです。しかし、神様からの新しいものはそれに変化をもたらしました。
神様からの「新」とはどのようなものでしょう。まず、それは神様との関係の正常化です。罪をもったままの人間は、神様との敵対関係にあり、のろいの対象です。しかし、イエス様によって罪の問題が解決され、神様との和解が成立し、親しい関係へと変えられ、祝福の対象となりました。また、それは道徳的正常化です。イエス様を信じた人の中には聖霊なる神様が住まわれ、新しいいのちが活動を始めます。それは新しい生活となって表されていきます。最後にそれは、環境の正常化でもあります。この点を少し掘り下げてみましょう。
イスラエル民族は神様によって特別に選ばれた民です。しかし、彼らは神様に従わず失墜しました。このイスラエルの姿は人間の姿でもあります。神様に造られた存在として、人間が神様に従うならば、祝福を受け続けるはずでしたが、愚かにも不従順を選択し、滅びを招くこととなりました。神様は尚 イスラエルを見捨てることなく、救い主による王国の樹立をダビデに約束されました。ダニエル書7:13にはイエス様が王としておいでになることが預言されています。(マタイ26:64; 黙示録1:13参照) その時、世(地上)が改まるのです。(マタイ19:28) イエス様の死からの復活はこの(ダビデに約束された)イスラエルの回復のためでもあったのです。(使徒13:34; イザヤ55:3)
エゼキエル書37章の「骨」はイスラエルの状態を説明するとともに、人間の状態を説明しています。活動のない骨にいのちが吹き入れられ動き出すことは、イスラエルの回復、そしてイスラエル以外(異邦人)の霊的回復をあらわしています。イザヤはその回復について預言し、かつてイスラエルを攻撃した者たちの子孫でさえ、イスラエルと祝福を共有することについて言及しています。
イエス・キリスト様に属するクリスチャンはこのような「新」を経験させていただいており、また約束として与えられているのです。この幸いを覚えようではありませんか。