“あの人を知っている”と言う時に、あなたの知っている度合いは、その人との関係の度合いに比例します。その人と親子関係であるのと、その人と店員―客という関係であるのとでは、当然あなたが持っている相手の情報量に相違が出ます。“神様を知っている”という表現は、イエス様を信じて救われていることを説明する時に使われます。その意味で神様を知ることは人として重要なことです。今回の箇所ではパウロが本当の神様を知らないアテネの人々に説教をしています。この箇所から、神様を知ることの幸いと神様を知る者のあるべき姿を確認しましょう。(使徒の働き17:22~34)
I. まことの神様の現実 (23節後半~28節)→パウロはアテネの人々が非常に宗教的であるという認識を持ちましたが、彼らが礼拝の対象を理解していなかったため、先ず“神とは誰なのか”を語りました。
神様は①天地の創造主です。すべての源であられます。このお方は世界をお造りになりました。(創世記1:1; 詩篇146:6; イザヤ40:28; 45:18; エレミヤ10:12; 32:17; ゼカリヤ12:1; エペソ3:9; 黙示録4:11; 10:6) このお方は空間の制限を受けません。(神様が創造された)人間の手によって作られた特定の場所(だけ)に存在するというようなスケールの小さいお方ではありません。(使徒7:48)
神様は②供給の創造主です。供給の源であられます。人間が存在するために必要なものをすべて与えてくださいます。ですから、人間による助けを全く必要とはされません。(そもそも人間が神様を助けることなどできません)
神様は③人間界の創造主です。人のいのちの源であられます。人類は神様によって造られた最初の一人から始まりました。その延長線上に私たちは存在しています。神様は人々の住む時代(或いは季節)と住む領域(或いは国境)を定められました。(イザヤ45:18)
神様が、創造主として(統治者・支配者として)ご自分を人にお示しになる目的、人が神様をさがし求め見出すことであるとパウロは述べています。(ローマ1:19~20; 2:15)
神様は④遍在の創造主です。人の存在は神様のご存在の上に成り立っています。人は他の動物とは違う特別なものとして造られました。人は「神の中に」存在しており、その意味において神様は人の“親”であり、人に近いご存在なのです。(マラキ2:10; イザヤ55:6)
II. 人間の無知の現実 (29節) →人は「神の子孫」でありながら、神を知らないでいます。無知な人間は、思いのままに神をイメージし、神々を作り続けてきました。(ローマ1:23; 詩篇115:4~8イザヤ44:9~20)
III. 無知な人間に対する神様の対応 (30~31節) →神様は無知な(そして結果的にあわれな)人間をそのまま放置なさいませんでした。御子イエス・キリスト様がおいでになるまでは、忍耐をもって人の罪を見過ごしてこられましたが(ローマ3:25)、イエス様の死によって、このようにされてきたことについての神様の義があらわされました。今 神様は人に悔い改めの呼びかけをしておられます。悔い改めとゆるしの土台と保証はすでに用意されました。救いの土台はイエス様の死によって、その保証(確証)は復活によって確立されました。神様はやがて義をもって世界をさばかれます。創造主であられるお方は救い主であられ、またさばき主でもあられるのです。
(肉体をともなう)復活と死後のさばきはアテネの人々にとって“新しい”教えでした。パウロの語ったことをある人々はあざ笑いましたが、ある人々は信じました。
まとめ:まことの神様を知る者とされた恵みを感謝し、救いの効果をあらわす者となれ →あなたがまことの神様を知っているのであれば、あなたは必要なすべてを知っていることになります。(エレミヤ9:24) もしそうであるなら、神様を知り変えられた者として相応しく歩みましょう。(ルカ22:34; テトス1:16; Iヨハネ4:7) 神様を知らない人々に真実を示す歩みをしましょう。(Iコリント1:21) さらに神様を知る者、知り続ける者、なお深く神様を知る者、学習し続ける者となりましょう。