天に昇っていかれたイエス様から与えられた聖霊降臨(聖霊が人の上に降られること)の約束が実行されるまでの10日間の中で、イエス様の弟子たちによって一つの「手続き」がなされました。イエス様の12弟子の一人であったユダはイエス様を裏切り、自殺することとなりました。ユダの一連の行動により、弟子(使徒)を補充する必要が生じたのです。(旧約聖書はそれを預言していました) 弟子たちはイエス様の地上でのお働きに参加した者、そして復活されたイエス様に会った者という条件を満たす2人を候補にあげ、神様への祈りの中でくじをひきマッテヤを使徒として選出しました。今回の記事から神様の選択と人の選択について考えてみましょう。
①神の選択 vs. ユダの選択 (罪に関係する選択): →神様はすべてを知っておられるお方ですから、ユダの生涯をあらかじめ、すべてご存知であられ、ご自分を裏切ることもご存知でした。同時に神様はこの宇宙において絶対的な権威を持っておられ、すべてのことがお出来になるお方ですから、当然ユダもご自分のコントロールの下に置いておられました。そのような中で神様はユダを御子イエス様の12弟子の一人にお選びになりました。一方、ユダは神様の支配の下にありながら、(ロボットとしてではなく)自由意志をもった者として行動することがゆるされていました。その中でイエス様の弟子となることに同意し、一時はイエス様に従うことを喜びとしました。しかしイエス様が進まれる道が自分の描いたものとは違うことを認識したユダはイエス様を十字架につける者達へイエス様を引き渡す「不正」を選びました。そしてイエス様を裏切ったユダは悔い改めるのではなく、死を選びました。神様の絶対的な主権(全知・全能を含めた)と人間に与えられた自由意志との関係について、私たちが完全に理解することは困難ですが、神様にとって矛盾することではありません。ただ自由意志を神様からいただいた私達は罪に関係することで以下のことを覚えておく必要があります。私たちが罪を犯す時は、私達自身がそれを選択しているということです。神様は私たちの罪の原因ではなく、罪を犯すように誘惑されるお方でもありません。また私たちの周囲の人や状況は私達が罪を犯すように働きかける一因とはなり得ますが、究極的には私たち自身が犯すこと/犯さないことを選んでいるのです。罪を犯した時には、言い訳をするのではなく、自身の責任を認め、悔い改め、神様に従うことを選ぶことが大切です。
②神の選択 vs. 使徒たちの選択 (神の御心に関係する選択): →ユダのことですでに述べたように、神様は全知であられますから、マッテヤが使徒に選ばれることをあらかじめご存知でした。また神様は主権者としてマッテヤが選出されるプロセス(くじ)を支配しておられました。そのような中で神様はマッテヤを使徒にお選びになりました。一方、誰が使徒となるべきか充分にわからない弟子(使徒)たちは、神様から与えられた自由意志の中で使徒として相応しいと思われる候補者を立て、神様に祈り、くじを引きました。そしてマッテヤを選びました。神様がすべてを知っておられ、最善をなされるということと、人間が祈り求めることとの関係を完全に説明することは困難です。現在私たちはくじによって神様のお考えを知るということをしませんが、祈り求めることにおいて以下のことを覚えておく必要があります。神様がどのようなお考えをもっておられるかを知るためにはみことばをよく学ぶことです。また心の内に住んでおられる聖霊なる神様に導いていただく(教えていただく)態度を持つことです。神様のお考え・ご計画がどのようなものであっても受け入れる態度を持つことです。みことばに従うこと、聖霊なる神様の内なる声に耳を傾けることは、神様の御心を知り、選ぶ上で重要なことです。
まとめ: 私達を選んでくださった神様が喜ばれることを選ぶ者とさせていただきましょう。 →私たちは、すべてを知り、すべてがお出来になる神様の前にへりくだって生活し、与えられた責任を果たす者であるべきです。神様がすべてをコントロールされるからと言って、投げ槍になったり、起こる問題を神様のせいにするのは的外れです。また神様の存在を無視して、自分の人生をコントロールしようとしたり、がむしゃらに生きようとすることも愚かなことです。私たちは、全知全能ですべての権限をもっておられお方への畏敬の念を持ちつつ、自由意志を神様のために使う、そのようなバランスのとれた生き方をするべきなのです。