人が生きていくためには、供給、保護、そして喜び(楽しみ)が必要です。与えられること、まもられること、喜び楽しむこと、このうち、どれが欠けても十分ではありません。残念ながら、私たちが住むこの世界においては、どれをとっても限界があります。最初に神様によって造られた人間が置かれた世界(エデンの園)はこれら三つに満たされた環境だったのですが、人間の罪がその環境を破壊したのです。
今日は、神様が与えてくださる保護について学びたいと思います。
I. 保護の約束:①神様は保護者です(詩篇121:5, 8; マタイ10:29~30)→神様は私たちをまもってくださるお方であることが約束されています。人は無謀にも神様の保護を拒絶し、そこから離れたのです。人は神様を信じることをせず、結果的に悲惨な道をたどることとなりました。クリスチャンはどうでしょう。神様に信頼と信仰を置いた上で“神様は守ってくださる”と告白し、神様の保護の下に生きているでしょうか。②主イエス様は執成者です(ヨハネ17:11)→イエス様は父なる神様に、ご自分に属する者たち(クリスチャン)の保護を祈ってくださいました。イエス様は、神の保護が私たちに十分に適用されるために十字架で死んでくださったのです。
II. 超越の御支配:①ステパノの殉教(使徒7:54~60)②ヤコブの殉教(使徒12:1~3)③ペテロの殉教の予告(ヨハネ21:18~19)→神様のお役に立っていた人々が働きの途中で殺されていきました。神様はまもることができなかったのでしょうか。神様は全能なお方ですから、そのようなことは決してありません。それは私たちの理解をはるかに超えたところで行われる神様のご計画です。神様のお心は、良いものを人に与えることです。(エレミヤ29:10~13)
III. 永遠の保護:①永遠の保証(ヨハネ3:16; 10:27~28)→イエス様を信ずる人は神様と共に永遠に生きることができます。神様の保護があるところには当然、神様からの供給と喜びがあふれるほど存在します。これはイエス様のみにある保証です。②保護の確信(Iテサロニケ5:23; ユダ24)→これらの箇所では、神の保護の祈りと共に確信が表現されています。私たちは完全な保護を与えてくださる神様にお頼りし、お従いして、この祝福を経験させていただくことができるのです。