8月24日 不従順な罪人

“モーセを汚している、律法を汚している”という訴えに対してのステパノの弁明・説教が続きます。前回は三区分されたモーセの生涯を見てきました。今回は特にモーセの最後の40年の中で、彼が導くことになったイスラエルの民の姿から、従うことが困難な罪人、救い主を必要とする罪人の姿を見ることになります。
①不従順な民の指導者モーセ (37-38節) →神様は憐れみ深いお方で、エジプトで奴隷状態の中に苦しんでいるイスラエルの人々を解放してくださいました。その実現のためにモーセをリーダーとして選び、パロとの交渉に臨ませ、10の災い(奇跡)によって民をエジプトから脱出させてくださいました。このモーセ自身が、後においでになる偉大な預言者=イエス様について語りました。モーセとイエス様には多くの共通点があります。その上でイエス様はモーセに勝ったお方であり、神様からのメッセージ(啓示)をより勝ったかたちでお伝えになることを予告したのです。(a.)モーセはメシヤ(イエス様)を指し示した預言者でした。このことは神様のみことばがモーセの律法に限定されるのではなく、後にメシヤとして来られるイエス様によってより完全なかたちで語られることを示しています。そして神の御子であられるイエス様のことばに聞き従うことが人の使命として与えられています。(b.)モーセは神様からのみことばを授かり、民に伝えた預言者でした。彼は神様と民との仲介者として、荒野にあって民の集まりの中で神様のことばを語ったのです。同じようにイエス様は預言を成就し、人々に救いを提供するために仲介者としてこの世界に来られました。
②不従順な民の実態 (39-41節) →モーセが神様から託された民は、導くのが難しい人々の集まりでした。イスラエルの民は (a.)神様が立てられたモーセの権威を拒絶したのです。彼らは多くの場面で、不平を言い、モーセのリーダーシップに挑戦し、彼を困らせました。確かにモーセも一人の不完全なリーダーではあったのですが、神様に任命された“あがない主”である彼に民は反抗しました。同様に神様が約束してくださったメシヤであられるあがない主、イエス様を多くのイスラエル人は拒絶しました。イスラエルの民には (b.)かつての生活スタイル/世(エジプト)のことへの未練もありました。過酷な環境から救出されたにも関わらず、神様のちからある御腕を身近で見たにも関わらず、どうしてそのようなことになるのかと客観的には不思議に思われます。神様からの恵みを早々に忘れ、神様が現在与えてくださっているものに飽きてしまったということなのでしょうか。与えられているマナに満足できず、エジプトで食べることができた数々のものが恋しくなったイスラエルの民の姿は、神様からの霊的糧であるみことばに満足できず、違うものに満足を求めようとする傾向のある私たちの姿を映してはいないでしょうか。神様(みことば)に従うことができないのは、神様より大事なものが私たちの心になお存在しているということではないでしょうか。 (c.)イスラエルの民は自分達にとって都合の良い神々を選びました。雲の柱・火の柱で導いてくださる神様に背を向けたのです。そしてまことの神様に代わる存在を自分たちの手によって作り出しました。民は自分たちがコントロールすることが出来る、そして要求を実行してくれる“神々”を求めたのです。
③不従順な民のさばき (42-43節) →(a.)神様は従わないイスラエルの民を放任されました。民は、偶像礼拝・天体崇拝をすることに一定の自由を得ました。しかしそれは神様の恐ろしいさばきを意味します。神でないものを神として拝み仕えることの重大な罪を犯すことに対して、神様が何の介入もなさらないとするならば、それを行っている人々を待ち受けているのはわざわいと滅びのみです。私たちの生活に“偶像”は存在していませんか。悪魔は神様との関係を持たないよう、関係が密にならないよう、神様のことを考えないよう、従わないようにとあらゆる手段によって、私たちの生活に攻撃を加えてきます。悪魔が投げ込んで来るものによって、神様との関係が妨げられていませんか。神様に従うことが邪魔されていませんか。 (b.)神様に従わないイスラエルの民には捕囚の予告がなされました。民が外国へと捕囚となり連れていかれることはモーセの時代からまだ先のことですが、このことはイスラエルの民(そしてすべての時代の人間)が、慢性的に神様に対して不従順であり、その結果は受けなければならないということを教えているのです。
まとめ:神様への不従順は罪人の必然です。従順は救われた者の神様の恵みによる信仰の選択です。 →なお罪の性質をもっている私たちの中には、神様に従おうとしない傾向が常に存在しているということを覚えなければなりません。漠然と“救われている、クリスチャンである”という気楽な思いで生活しているとしたら足をすくわれることになるでしょう。世の中では、神様に従うことを阻もうとする流れが常にあることに注意しなければなりません。恵みによって救われた私たちは、積極的に、意識的に神様のみことばに従っていく選択をして、日々の生活に臨もうではありませんか。アダムの子孫として、神様に従うことができない私たちが、救われ、神様に従うことが出来る者へと変えられました。そのことを覚え、主の恵みにおすがりし、中心に向って、神様に従う方向に向って歩もうではありませんか。

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