軟禁状態のパウロのもとにユダヤ人の有力者たちがやってきました。パウロは一日中、神の国のこと、そしてイエス様のことを彼らに語り続けました。彼らの反応は様々でしたが、続くパウロの一言から反応の大半が否定的であったことがうかがえます。パウロはイザヤ書の預言を引用し、頑固なイスラエルは神様のメッセージに対して正しい応答をせず、結果的に救いのメッセージは異邦人に送られることになったことを語りました。
パウロの軟禁状態は2年続きましたが、その間パウロは自分のもとに来る人を迎え入れ神の国とイエス様のことを伝え続けました。
今回でシリーズが終了となる使徒の働きは、実は聖霊の働きと言うべき書です。そしてその働きは(神様の生きて働く)みことばが語られる時にあらわされるものであることを見てきました。今回は、神様によって召され主に仕え続けたパウロも携わった、みことばの働きについて考えてみましょう。(使徒の働き28:23-31)
I. みことばの伝達者:みことばを語る忠実なパウロ →劇的な回心を経てイエス様のお名前を伝えるお役目を神様からいただいたパウロの忠実さは一貫しているところですが、このローマにおける投獄においても例外ではありません。彼は自分のところに来た人々を「みな迎え」入れ、「朝から晩まで」、そして「大胆に」語り続けました。そこには彼のみことばに対する情熱があらわされています。私たちの、みことばを語ること、また分かち合うことに対する情熱はどのようなものでしょうか。
またパウロはみことばによって人々に説得を試みています。パウロは語るのみでなく、勧めているということです。神様のみことばは人に対して応答・決断を求め促します。
II. みことばの受取人:みことばを受け入れない不信仰なユダヤ人 →パウロが語ったことに対してあるユダヤ人たちは信じ、あるユダヤ人たちは信じませんでした。みことばは人々を二分します。積極的な意思表示をするかしないかは別として、神様のみことばに対する中立の立場は存在せず、それぞれの応答に対して結果を受けることになります。ユダヤ人(イスラエルの民)は神様の特別な取り扱いを受け、みことばを授かりながら、民族としては神様に逆らう歩みをしてきました。その結果、まことの神様のことが理解できず、また神様からの祝福(救い)を遠ざけてしまう結果を招いてしまいました。
III. みことばの内容:神の国と主イエス・キリスト様 →今回の箇所の最初と最後の節に、パウロが語ったみことばの内容が記されています。それは神の国とイエス様のことです。神の国は神様の支配される領域です。この世界を造り、人を造られた神様は、罪のために堕落してしまった人のために救いの方法を準備されました。人が神様の救いを受け入れる時に、その人は神様の支配の領域(救いの領域)となるのです。ユダヤ人たちの意識は物理的な国家の再建に向けられていましたが、神様はむしろ一人の人が悔い改めて、救われ、ご自分の支配の領域となることを求めておられるのです。
神様の人に対する救済計画は、神の御子であられる主イエス・キリスト様を通して成就しました。この方こそ唯一の救い主です。ですから、みことばが語られる時には、このお方を抜きにすることはできないのです。
まとめ:みことばによる神様のお働きは、聖霊なる神様のお働きにより、忠実な者たちの働きにより継続する →使徒の働きはパウロがいなくなった後も継続していきました。それはみことばに忠実な者たちによってです。あなたはみことばの効果(救いの効果)を体験されましたか。そうであるなら、あなたはみことばの働きにどのようなかたちで参加していこうと思いますか。