2020年の夏、例年にない過酷な夏となっています。それは今、私たちが単なる暑さだけではなく、人の身体だけではなく、心をも蝕むコロナ禍での、厳しい夏を経験しているからです。
悲しい事ですがマスク姿の人々も見慣れてきてしまいました。マスクをしていない人を探すのが難しいほどです。このような状況が長く続く事になってほしくはありません。しかし、このような状況の中にあっても神様の御手の中で全ては動かされていますし、神様のご計画は今日も何一つ間違う事なく進んでいますから、神様のご支配と導きに引き続き委ねることができますように。
さて私たちの教会は先週に引き続き、今日もオンラインでの礼拝となりました。オンライン礼拝では、兄姉の顔が見えませんが、Facebookのライブ配信では何名が閲覧しているかが分かるようになっています。顔が見えなくても兄姉が礼拝に参加されていることが確認でき兄姉の事を思うことができ感謝です。実はその閲覧している事が分かるマークがあり、その形は「目」で、その隣に何名見ているかが分かる数字が出てくるのですが、これを見た時にふと思ったことがあります。神様は私たちが礼拝に臨む時、誰の「心の目」がしっかり開いているか、誰の「心の耳」がしっかり開いて御言葉を聞いているかを全部お分かりになっておられるのですね。私たちの心の奥深くまでご存知の神様を前に、私たちは礼拝を捧げているということを忘れず、畏敬の念を抱きつつ、神様が喜ばれる正しい心と正しい態度で礼拝に臨みたいと思いました。
また今日も、霊的な糧を頂くことができ感謝でした。主の御言葉を愛し、祈り、導かれ、備えて霊的糧を届けて下さる御言葉の器が私たちの教会に与えてられていることも感謝します。
冒頭で、メッセンジャーが「私たちクリスチャンは、神様の存在を、神様を目で確認したから信じているのでも、イエス様を見たから信じているのでもありません。しかし、聖書の言葉がそれらを信じることができる十分な情報を提供した。」と言われました。私たちは人間の思考や能力で神様のご存在、ご性質、御力を考え、認めようとする時には、決してそれらを正しく理解し、信じる事はできません。しかし、自分の思考、能力を主に明け渡し、主に霊的な目を開いて頂いた時に、父なる神様を、また子なる主イエス様を知り、信じることができた恵みを心から感謝します。そして、主を信じた者たちには、尚も御言葉を通して、そのことを確信へと導いて下さる主をほめたたえます。
今週は、お休みを過ごされる兄姉も多くおられるでしょうが、それぞれの出入りに主の護りが豊かにありますように。