ペテロは使徒達が他国のことばで神様のみわざを語ったことについての説明の後、イエス様を語り始めました。 イエス様はペテロにとって、そして今を生きる私たちにとってどのようなお方なのでしょう。(使徒の働き2:22-28)
①イエス様は神様のもとから来られたお方 (22節)→ イエス様は父なる神様から遣わされた御子であられ、「ナザレのイエス」として知られたお方です。人々はイエス様ご自身が神であられることを証明する奇跡(しるし)を見、偉大な権威をお持ちのお方を不思議に思ったのです。
②イエス様は神様の御心によって死を経験されたお方 (23節)→ イエス様は父なる神様の御旨と予知に基づくご計画の中でおいでになりました。それは死ぬことでした。それはご自分のためではなく、罪ある者達のためです。十字架はイエス様を十字架につけた人々の罪深さと神様の人類救済計画(あがない)の交錯するところです。
③イエス様は死に打ち勝って復活されたお方 (24-27節)→ イエス様の死が神様のご計画であったのと同様に、復活も神様のご計画でした。イエス様は私たち(罪の中に死んでいた者達)に新しいいのちをもたらすため「苦しみ」(直訳は陣痛の意)を乗り越えてくださいました。父なる神様は死に至るまで従われたイエス様を解き放ち復活させてくださいました。イエス様が罪のないお方であり、神であられることがあらわされました。このことはイエス様を信ずる者が同じく復活の祝福に与ることを確かなものとしたのです。
④イエス様はいのちの道を開かれたお方 (28節)→ ダビデは詩篇の中でイエス様について信仰と賛美と喜びと平安の中で預言しました。主のご存在、主が復活されること、そして自らも復活の祝福に与ることを喜び楽しんでいるのです。復活は単にいのちの継続なのではなく神のご臨在(存在)の中での豊かな喜びです。そしてそれは罪や負のものが全くない新しいかたちにおける永遠の状態です。イエス様は自らの死をもって私たちの罪の問題を解決し、永遠の救い(いのち)を与えてくださったのです。
まとめ: イエス様は永遠の希望である→ イエス様はこの世界に来られ、死なれ、復活され、いのちの道を開いてくださいました。イエス様によって与えられた希望はどんなに大きなものでしょう。それは世の中に存在する「空しき望み」(Iコリント15:19)ではなく、永遠に崩れることのない、奪われることのない、確固たるものなのです。地上での生活の中では様々なチャレンジが存在します。しかし私たちはイエス様にあって素晴らしい希望が与えられていることを今一度覚えようではありませんか。