3月8日 主の召しは逆風の中で

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イエス様を信じて歩いていくということ、またクリスチャンとして神様に従っていくということ、神様の御心を行っていくということは、多くの場合において困難を選ぶことを意味します。神様の前における罪がゆるされ、永遠のいのちの約束が与えられることは素晴らしいことですが、イエス様による救いをいただいた者としての歩みは、いつものどかな小川のほとりでのんびりと過ごすといったようなものでは必ずしもありません。むしろクリスチャンの歩みは落ち着くことができない、一見猛吹雪の中を進むようなものです。イエス様に劇的に出会ったサウロは回心直後から多くの逆風を経験しました。今回はクリスチャンとしての新たな歩みを始めたサウロを待っていた人々の反応と、その中における神様のお働きについて学んでみたいと思います。(使徒の働き9:19節後半~31節)
①ダマスコの人々の驚き (19節後半~22節) →アナニヤの手助けによりクリスチャンとして歩き始めたサウロは数日間、ダマスコに滞在しました。そしてまもなくユダヤ人の会堂で説教を開始しました。彼はイエス様が神の御子であられることを語りました。イエス様が人であられると共に、神であられることを明確に語りました。彼のメッセージを聞いた人々は驚きました。つい最近までイエス様を信ずる者たちに激しい迫害を加えていた彼が、イエス様を神と認め、このお方の神性を主張したのですから無理もありません。ダマスコの人々はサウロを依然として迫害者としてしか見ることができなかったのは当然です。このような中でサウロは神様からの霊的なちからをいただきました。彼はイエス様に出会ったことにより、このお方が神であられ、メシヤ(救い主)であられることの確かさを心に深く植えつけられたことにより、確信と情熱をもって語るちからが与えられたのです。人々は彼のメッセージに対抗することが出来ませんでした。サウロはこの逆風の中で、みことばに対する確信によって強くされたのです。
②ユダヤ人による殺害計画 (23~25節) →サウロは一時期ダマスコを離れ、アラビヤで過ごした後(ガラテヤ1:17)、再びダマスコに戻ってきたようです。サウロがイエス様を信ずる者となり、積極的にイエス様のメッセージを語ることは、ユダヤ人にとって到底見過ごすことができなかったことのようです。ある者たちはサウロを殺そうと計画しました。サウロは元パリサイ人として代表的な存在でもあったわけですから、学者やパリサイ人にとって彼の行動は“面目丸つぶれ”ということであったのかもわかりません。いずれにしても、サウロの殺害計画が持ち上がるほど、サウロの回心が大きなダメージを彼らに与えたことは確かです。このような中で、計画はサウロの知るところとなり、弟子たちの協力によって城壁の町ダマスコから彼は脱出することとなりました。身に危険が及ぶという逆風の中で神様は彼を助ける者たちを備えておられたのです。
③エルサレムの信者の恐れ (26~28節) →ダマスコを後にしたサウロは回心後初めてエルサレムを訪問しました。そこで彼はエルサレムの信者の仲間に加わろうとしましたが、受け入れてはもらえませんでした。ダマスコの人々と同様、サウロが自分たちと同じ信仰を共有する者であることをにわかには信じられなかったからです。しかしバルナバがサウロを受け入れ、サウロがイエス様と出会い、召しを受け、その召しに従ってダマスコで説教したことなどを人々に説明しました。バルナバはサウロのために橋渡し役となり、彼はエルサレムの信者に受け入れられるようになっていきました。同じ信仰を持つはずの信者に拒まれるという逆風の中で神様はサウロが受け入れられるよう援護する者を備えられたのです。
④ヘレニストによる殺害計画 (29~30節) →バルナバの“仲介”により信者たちに受け入れられたサウロでしたが、ギリシャ語を使う(そしてギリシャ文化の背景を持つ)ユダヤ人との議論の中で、此処でもサウロは命をねらわれることとなりました。彼等はかつて殉教したステパノが議論した同じ種類の人々であった可能性があります。このような状況の中で、ある信者たちはサウロを保護し、彼を彼の故郷タルソへ送り出す手助けをしました。再び身に危険が及ぶという逆風の中で、神様は再び彼を助ける者たちを備えておられたのです。
まとめ: 主の召しに従うことはしばしば困難を伴うが、神様は常に必要を備え後押ししてくださる →イエス様を自分の救い主として信ずることは、神様からの最初の召しへの応答です。そして救われたあなたは、クリスチャンとしての召しが与えられます。それは教会で、家庭で、職場で、地域で、神様から与えられるあなたの役割です。それは神様の御心であり、御目的です。クリスチャンとして、神様からの召し(人生における役割、使命、また特定の場面におけるあなたに与えられる責任等)を明確にすることは大切なことです。イエス様による救いを受けるという意味において神様の召しに従うことも、クリスチャンとして与えられた役割を実行していくという意味において神様の召しに従うことも、少なからず困難を伴います。人々からの反対もあるでしょう。しかしサウロがそうであったように、あなたも神様のみことばをしっかりと心にとどめる態度を持ち、同じ信仰に立つ者たちとの交わり(教会生活)の中で、神様を見上げてあなたに与えられた召しを全うしていくという姿勢が必要です。それが逆風の中でも前進するちからとなるのです。召しを与えられるのは神様ですから、神様が終わりまで励まし助け導いてくださいます。

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