イエス・キリスト様の復活によって、イエス様がキリストであられることがあらわされました。(使徒の働き2:36) イエス様は神であられると同時に人としてこの世界においでになりました。“キリスト”は職務を説明しています。復活されたイエス様は、旧約聖書がご自分について記しており、それら一つひとつの約束が実現することをお語りになり、自ら成就してくださいました。創造者であられる神様は愛をもっておられる方ですが、それだけでは人の罪の問題を解決することはできません。もしそれが可能であるとしたら、神様の正しさが損なわれることになります。イエス様は人の罪を処理し、ゆるし、導いてくださるために、そして死後の永遠の幸いのためにおいでになり、職務を全うされました。それは同時にイエス様が預言者・祭司・王としての職務を兼ね備えておられる、油を注がれたキリストであられることを信ずることが出来るためでもあるのです。
イエス様は預言者として、お語りになるお方です。(へブル1:2) 人が救われるためには、確かな神のことばを聞く必要があります。(ローマ10:17) イエス様がお語りになったことを聞き信ずる者には祝福(救い)が約束されています。(ローマ10:9-10; ヨハネ5:24) イエス様がキリストであられること(救い主としての職務をお持ちであられること)を信ずる人は、さばきに会うことがなく、永遠に罪を犯さない中で神様と共に生きることが出来るいのちが与えられます。
イエス様は大祭司として、自らが非の打ちどころがないいけにえとなられました。(ローマ8:31-34) このことにより、罪のある人間が神様の前において義と認められる(正常な歩みが出来る)ということが実現しました。イエス様のみわざに基づいて神様に近づくことが可能となったのです。そして義と認められた(なお弱い者である)クリスチャンは、罪を犯すことを除いて人と同じ経験を通られたイエス様の執り成しの恵みに(続いて)与っているのです。イエス様は悪の霊の妨害を退けられ、宇宙の中心に存在されるお方です。(へブル4:14-16) クリスチャンはやがて栄化された肉体をもってイエス様のもとへと移されるのです。現在クリスチャンの肉体は地上にあっても神様の御前である恵みの御座に近づくことがゆるされ、イエス様は神様との交流を助けてくださるのです。それは罪がゆるされていることの恵みであり保障です。
イエス様は王であられるため、クリスチャンはこのお方に従うことを優先することが求められています。(ルカ14:26-27) イエス様を愛し、イエス様に従うクリスチャンは、結果的にあたかも他者を憎んでいるかのごとく生きるのです。イエス様の弟子は、自身が十字架につけられることを承認し、自己を“はりつけ”にして従うのです。イエス様を王として認めるということは、所有権はイエス様にあり、イエス様の統治に委ねるということです。
私たちが復活されたキリスト様によって救われ、キリスト様に属している者として、教会のかしらであられるお方に従う時、健全な歩みが実現するのです。