神様の約束について学んできていますが、今回はイエス様の復活に焦点をあてたいと思います。
先ずイエス様はヨナと同じような経験をされることを語られ、ご自身の復活について間接的に予告なさいました。(マタイ12:40)そして教会について語られた頃から直接的にご自分の復活について弟子たちにお語りになることを始められました。(マタイ16:21; 17:22~23; 20:17~19; 26:32)イエス様はご自分がよみがえりであることを語られましたが、それは人が真似をすることができない発言であり経験です。(ヨハネ11:25)
ご自身の予告の通り、イエス様の復活は成就しました。御使いはその事実を女性たちに宣言し(マタイ28:5~7)、イエス様もご自分を彼女たちに(マタイ28:9~10)、そして11弟子たちにあらわしてくださいました。(マタイ28:16~20)しかしイエス様の身近にいた弟子たちでさえイエス様の復活の真理をすぐには悟ることができませんでした。(ヨハネ20:9,26~29)イエス様は預言(予告)を信ずることに鈍い人々について嘆かれました。(ルカ24:25~26)度々語られても、自身の常識や考えが邪魔をして神様のことばを信ずるができないのは今の時代においても同様です。しかし聖書の真理を知ることを求めるならば、ご聖霊なる神様の助けによって悟ることが可能です。(ルカ24:44~48)復活のイエス様は弟子たちに少なくとも3度あらわれてくださいました。(ヨハネ21:14)そして彼らが主の復活の証人となったのです。
ペンテコステの後、ペテロやパウロは自らの説教の中でダビデの発言を解説しイエス様の復活を宣言しました。(使徒の働き2:24~32; 13:30~37)
私たちはイエス様の復活を信ずる幸いをいただいています。死んでよみがえられたイエス様による罪のゆるしと永遠のいのちをいただいています。私たちは、これから後に起こると預言されていることについても成就することを信ずることができます。詳細な予告のみことばを信ずることは正しいことです。偽りが横行する時代にあって、私たちはみことばをなお詳しく調べるベレヤの人々のようでなければなりません。