7月10日 信仰生活のスタート

今回はパウロが、三回目となる宣教旅行でエペソに来た時の場面です。今回は三つのキーワードに着目し、信仰生活のスタートの過程について学んでみたいと思います。(使徒の働き19:1~7)
前回登場したアポロがエペソを去ってコリントにいた時、パウロはエペソに到着しました。そこで何人かの「弟子」に会いました。彼らはバプテスマのヨハネの弟子たちであったようです。

I. 「聖霊」:聖霊を受ける (2節) →パウロはヨハネの弟子たちに、信仰をもったときに聖霊を受けたかどうか質問しました。彼の質問は、彼らがクリスチャンであることを推測していることと、信仰を持つことと聖霊を受けることはセットであるという認識をもっていることがうかがえます。彼らは、聖霊が与えられることは聞いたこともない、或いは聖霊の存在すら知らないと答えました。
“聖霊を受ける”とは、聖霊なる神様が人の中に住まわれることです。そのことにより人は聖霊によって導かれる生活が可能となります。聖霊を受けるのは、人が神の御子イエス様を、救い主として、個人的に信じ受け入れる時であり、信じ受け入れることによってです。(ローマ8:9) ですから、クリスチャンは皆 聖霊を受けているのです。これは、人の感覚や見える何かによってではなく、みことばの約束を受け入れることによって知ることです。(Iコリント6:19; 12:13)
一度聖霊を受けると、聖霊が人の中に住まわれること(内住)は継続します。内住が中断したり、再内住の必要が生じたりするようなことはありません。(ヨハネ14:16~17, 26) 聖霊を受けた者は、みことばの学びを充実させ(コロサイ3:16)、聖霊(御霊)に満たされることにより(エペソ5:18)信仰が成長へと導かれます。

II. 「バプテスマ」:バプテスマを受ける(3節) →聖霊についての認識がない弟子たちに、パウロはどのようなバプテスマを受けたのか尋ねました。彼らが受けていたのは、ヨハネのバプテスマ(だけ)でした。彼らは、バプテスマのヨハネの位置づけや、彼の後に来られたイエス様について理解していなかったようです。(ヨハネ1:19~34; 3:22~26)
バプテスマは、イエス様を信じ受け入れたクリスチャンが、その信仰を公に表明すること、またイエス様への従順の第一歩とすることを意味します。バプテスマを受けることにより、(地方)教会に加わることが公に認知され、イエス様をかしらとする教会の一部分となります。バプテスマは、受けた者が教会を建てあげていく働きの一端を担っていく決意をし、すでに教会に加えられている者たち(リーダーや先輩たち)からの霊的指導を受けることの意思表示の場でもあります。
バプテスマは、イエス様を信じてまもなく受けることが適当であることは聖書中の事例からもわかります。
バプテスマは、牧師や按手を受けた教会のリーダーたちによって、そしてイエス様と共に死に、葬られ、よみがえらせられることを示す浸礼によって授けられます。
パウロはバプテスマのヨハネが指し示したイエス様について弟子たちに語りました。(ピシデヤのアンテオケで語ったようにメシヤ預言にも触れたことでしょう 13:25~38)

III.  「主イエス」:主イエスを信ずる(5節) →パウロは、ヨハネがイエス様のために(悔い改めのバプテスマを授けることを含めて)準備をし、このお方を(救い主として、神として)信じるように語ったことを伝えました。
主イエスを信ずるとは、神様が仰っておられることを“その通りです”と受け入れることです。自分が神の前に罪のある人間でありさばかれるべき者であることを認めることです。自分のすべての罪をイエス様が代わりに背負って死んでくださったこと(そして復活されたこと)を受け入れることです。“今日からあなたが私の主です、神です”と告白することです。(ローマ10:9~10) 主イエスを信ずる時は、今が最善です。(IIコリント6:2) 自分のすべてを知っておられる神様に心を向け、神様の前に認め受け入れたことを伝えることにより、信ずることが完了します。
ヨハネの弟子たちは、パウロの語ることを聞き、イエス様のお名前によって(クリスチャンの)バプテスマを受けました。これは彼らがイエス様によって救われ、イエス様に対する信仰告白があったことが前提です。この時には、異言や預言によって、彼らが明らかにイエス様による救いを受け、聖霊を受け、教会に加えられたことが証明されました。どのような人でも、イエス様を信ずるならば、聖霊のちからによって神の子供とされることが示されました。

まとめ:イエス様を信ずる者は、新しい人生をスタートさせることができる →クリスチャンとしてのスタートの順序は、①主イエスを信ずる ②聖霊を受ける ③バプテスマを受ける となります。イエス様を信ずることによって、人は本来おるべき神様のもとに帰り、あるべき生き方に帰るのです。クリスチャンとなった者は内に住んでくださる聖霊の導きに従う(みことばに従う)ことにより、信仰の歩みを前進させ成長させることができます。信仰生活における様々な経験の中にあって、イエス様にあって乗り越えるちから・耐えるちからをいただくのです。イエス様のものであることの自覚をもって、ことばと行動によって“キリスト様の香り”を放ち、イエス様のために生きるのです。神様のために学び、働き、奉仕をするのです。この新しいスターとは、すべて神様の恵みにより、イエス様の十字架上におけるみわざによって可能となるのです。

 

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