☆今日の出来事・お知らせ☆
●先週から急な冷え込みによって特に朝は厳しい寒さがあります。日中も肌寒くはありますが日の光を浴びるとほっと暖かく感じるような主日でした。
●主日礼拝とともにH姉のバプテスマ式が執り行われました。新たに信仰を表明する方が起こされて感謝です。本人の信仰表明の証しでは力強く語られていたことが印象的でした。
H姉のご主人とお義父様も礼拝に出席され、バプテスマ式に立ち会われて感謝でした。
H姉の中学時代からの同級生であるS姉が埼玉から駆けつけ、古くからの同級生というだけでなく、主イエス様にある姉妹としての歩みのスタートの祝福を分かち合うことができ感謝でした。
H姉の証しによりご家族をはじめ周りの方々が救いに導かれますように。そしてH姉のこれからの歩みが神様に祝福されたものになりますように。
また先に救われバプテスマを受けた私たちも初心に帰り気持ちを新たに、主の僕として忠実に仕え喜ばれる者として歩んでいきたいと覚える時となり、祝福された主日でした。
●町内在住のご夫妻が先週 教会に来られ福音を聞かれましたが、今朝礼拝に出席されました。救い主イエス様の救いがご夫妻の上に及びますように。
●本日M兄が仕事で再びタイへ旅立ちました。出張先での体調と信仰生活が守られますように。
●今週火曜日にはひつじのひろばが予定されています。
●午後から混声メンバーで「きよらにほしすむこよい」の練習が行われました。こちらはイエス様誕生の話の語りと共にクリスマスの集会で披露する予定です。
☆H姉の証し☆
今日、バプテスマの祝福をいただけますこと、心から感謝します。
今日の日を迎えるまでに教会にかかわる多くの方々の長きにわたるたゆみないお祈りがありましたこと、ありがとうございます。
イエス様のことを同級生のお友達から聞いて実に三十八年、あのころとは時代が変わり、私の周りの環境もどんどん変わって関わる人も出会いと別れを繰り返し、今私は家族をもってそれぞれの命が守られ支えられています。
地上での生活で一番身近なのは家族ですし、また守っていかなくてはいけないのも家族です。その中で自分ひとりがイエス様を信じる信仰を持ち、その信仰を保っていくのにもっとも理解を得にくいのが一番身近な家族であることも事実でした。
教会、神様、イエス様という言葉を発するのでさえはばかられる状況で、それでも神様は私が現実逃避してしまいたくなるような、そして自己嫌悪に陥ってしまうような、また、生きている意味がわからなくなるような様々な経験を用いてでも神様の強さ、正しさ、そして神様のあわれみを教えて下さいました。神様のなさることは時にかなって美しい、自らが弱い時に、神様のみことばは強いということもどれほど経験したことかわかりません。
様々な試練にさらされる度に私の心はさらに神様の方へとそして足は教会へと向かっていきました。
詩篇119篇71節「困苦にあひたりしは我によきことなり此によりて我なんぢの律法をまなびえたり」
まさしくこのことばが成就されたのです。
人の世では何かしら自分の力の及ばないところで行き詰った時また何かしらの努力の結果を求めようとするとき「かみさま」と神頼み的な思いをもつものです。私も以前はそうでした。何の根拠もなく神様の助けってあるのだろうかと思ったものです。世の中はそういうものだと、目に見えない何かの働きを空想していくものなのかと何となくそう思ったものです。でも真の神様を知ってわずかながらみことばを心に入れてイエス様を信じ、目に見えるところのすべてのもの、目に見えないところの暦も道徳的な規律も模範もそして人の感情をもすべて神様がつくられ、すべてを御手のうちに支配しておられることがわかったときに祈りが一時的な神頼みではなくなりました。
人に命を与えて、ひとりひとり目的があって生かされていること、自分で自分の力で生きているのではなくて、生かされていること、そして私たち人間を罪の結果の罰から、永遠の死の刑罰から解放してくださるイエス様の救いを確信した時に感謝しました。
生まれもった罪の性質は今も変わりませんが、神様のひとり子イエス様がこの罪の故に十字架にかけられ、罪のないお方が罪として審かれました。私は、そのイエス様の十字架の死は私のため、私を救うためのあがないのみわざでしたと信じます。これが真実です。そしてそこには神様からの愛と慰めと平安があります。
日本という国の倣いや世のしきたりに惑わされるのではなくて、自分の命は神様からいただいたもの、永遠に神様と共に生きるものとしてこれから後は教会への奉仕と真実の救いを周りの人に伝えられる生き方をしていきたいと思います。
☆本日のランチ☆