主の晩餐に臨むにあたり、イエス様の血について考えてみたいと思います。大量の血が流れること、それは人の死を意味します。イエス様は多くの血を流してくださいました。十字架刑は犯罪人に対する刑罰です。罪のないイエス様は私たちの身代わりとなって血を流されました。主の晩餐においてはこのことを記念するのです。
イエス様の流してくださった血の効力は、私たちをあがなう(買い取る)ことです。それは私たちの神様との関係の正常化であり、私たちの罪のゆるしときよめです。
罪のゆるし、そしてあがないを可能とするイエス様の血の尊さを覚えましょう。人間の罪はのろいをもたらします。罪は人間を不幸にするのです。(創世記13:17-19)人間の罪は被造物へののろいをもたらしました。人間は生きていくために苦労しなければなりません。そこには精神的・肉体的苦しみが伴います。世の終わりへと向かっていく中、世界では飢饉・地震・病が人間に襲い掛かり、そして死の現実が消え去ることはありません。(マタイ24:4-7)私たちは自身の苦労の原因を神様との関係において認識する必要があります。
イエス様を信じて救いをいただいたクリスチャンは、神様のさばきに遭わない幸いをいただいています。神様との正しい関係の中で喜び楽しむことができます。イエス様が自らのろいを受けてくださったことにより、私たちは救われました。(ガラテヤ3:13)義のために生きる者と変えられました。(Iペテロ2:24)そしてあがなわれた者としてきよい歩みをし、それを証しする者とされました。(Iヨハネ1:7)これらのことを覚えつつ主の晩餐に与りましょう。