世の中でも“メリー・クリスマス”(クリスマスおめでとう)という表現が多く使われますが、人間の罪の問題が解決されていない中でのクリスマスは決して幸いなものではありません。人の罪は死をもたらし、死後永遠の刑罰をもたらします。
神様は完全に正しいお方です。人間はこのお方の前において罪人です。この前提で考える時に、人は永遠に不幸です。神様と人間が共存はできません。神様がそのまま人間の前にあらわれるということがあるとするならば、人間は皆滅ぼされてしまうのです。
有り難いことに、神様は正しいだけでなく、愛であられます。神の御子であられるイエス・キリスト様は肉体を取りこの世界に来られました。人間の罪を取り除く神の小羊として来られました。イエス様には罪の性質がありません。ですから人間の罪のゆるしが可能です。人間の身代わりとして死ぬことができます。そして人間がイエス様を個人的に信じ受け入れると、人間と正しい神様との間で救いが成立するのです。
ただし、これが救いの完成ではありません。救いをいただいた人間にはなお罪の性質が残っています。人間の肉体は年齢とともに減退していきます。やがての時(神様のもとへ移される時)人間は完全な者とされ、救いは完成します。
今回は神の愛の表現に着目したいと思います。先ず神様の愛は人間に対して最大の犠牲を払うことによって表されました。(Iヨハネ4:9-10; ヨハネ3:16)イエス様はご自分に反抗する人間の世界に来られました。神様は人間たちを集団としてご覧になっておられるのではなく、一人一人をご覧になり、一人一人に愛のお心を向けておられます。イエス様の十字架の犠牲は人間にいのちをもたらしました。このいのちは永遠のものです。そして神様に喜ばれることのみを行う性質のものです。人間の罪に対しては神様の怒りが向けられています。イエス様は犠牲を払い神様をなだめてくださいました。罪のある人間はイエス様に隠れさせていただいたのです。神のひとり子イエス様は、最も悪い世を愛してくださいました。そして信じる者すべてが、永遠の苦しみに落ち込むことのないようにその方法を準備してくださいました。
また神様の愛は、悔い改めた者、救われた者を喜んでくださることに表されています。(ルカ15:23-24; ゼパニヤ3:17)神様のもとから離れ迷子になっていた者が、神様のもとへと帰ってくることを神様は天使たちと共に喜んでくださいます。
さらに神様の愛は、人間の罪をゆるすことに表されています。(イザヤ38:17)罪の清算には罰が要求されます。神様は人間の罪のゆるしのために正しい方法を実行してくださいました。そしてゆるした人間を喜んでくださいます。
そして神様の愛は、恵みを与えることによって表されています。(エペソ2:4-9)神様は恵みによって人間を救ってくださいます。恵みは愛に基づく贈り物です。その贈り物を人間が信仰で受け取ることによって救われます。神様の恵みと、人の信仰が一つとなった時、救いは実現するのです。
クリスマスは神の愛のあらわれです。大事なことは人間が神様からの賜物(贈り物)を信じて受け取ることです。それによってクリスマスを心から喜び感謝することができるのです。