2月26日 御手の中にある聖徒②

前回の箇所では、パウロに対する暗殺計画がなされ、その事実をローマの千人隊長が知るところとなったことを見ました。今回、千人隊長はこの事態に迅速に対応し実行するのを見ます。彼はパウロを厳重な警護と共にカイザリヤの総督ペリクスのもとに送ることにしました。ローマの市民権を持つパウロの命が奪われるということになれば、重大な責任問題になることを彼は認識していたのです。彼は総督に対して手紙を書き、ローマの法律の観点からはパウロが無罪であることを明確にし、同時に自身が市民権を持つ者を適切に保護していることをアピールしたのです。このようにしてパウロはカイザイリヤに到着しました。
今回の箇所で学びたいことは前回に続いて、御手の中にある聖徒についてですが、特に聖徒の上にある神様のご支配について以下のことを考えたいと思います。

神の摂理の御手はすべての事柄の上にある
私たちが関わる人々の上に
 私たちが置かれる状況の上に

全知全能なる神様が、あなたの人生の中に、最善の目的のために、最善の方法とタイミングで介入されること(或いはされないこと)を知っているでしょうか。
ユダヤ人からの激しい反対を受けたパウロはローマの厳重な保護下に置かれました。パウロは自分ではどうすることもできなかったのです。千人隊長がこれほどまでしてパウロの身の安全の確保に努めたのは、パウロの教えに共感したからでも、パウロの語る福音を信じたからでもありません。千人隊長はローマにおける自身の立場を保持するためにこのことを行いました。ローマの法律を遵守すること、またユダヤ社会の秩序を保つことは、エルサレムの守備隊の長である彼の(上からの)評価に直結していたからです。彼がパウロを送り届けた総督ペリクスは残忍さと不道徳で知られる人でした。パウロはこの人物の保護下にも置かれました。これは神様の摂理のお取り扱いの不思議さです。神様はご自分を信じない者たち、しかも自己中心的に物事を動かし、また同時に非常に罪深い者たちでさえ、ご自分の計画遂行のために用いることがあるということです。(パウロに対する神様の計画の一つは、彼がローマに行くことでした。現時点でパウロの身に起こっていることはそのための道備えであったのです。)
この世界において何が起ころうとも、神様にフラストレーションがたまることはありません。神様を慌てさせたり、驚かせたり、(どう対応しようかと)悩ませたりすることはないからです。すべては神様の御手の中で起こっていることです。このお方を神と認める私たちは、このお方の御手を認める必要があります。
私たちには想定・計画・願望というものがあります。それはあっていいものです。しかし私たちが思い描いているものと神様のものとは必ずしも同じではありません。その場合私たちは自身のものを神様に明け渡していく作業が必要となります。それは時には簡単ではありません。犠牲・損失・痛みを伴うものであるかもしれません。その時、神様の前に謙って状況を受け入れることが大切です。神様の恵みによってその決断ができるならば、慌てることも、動揺することも、騒ぐことも最小限でとどめられるでしょう。私たちがそれぞれの状況で出来ることがあるならば、神様の知恵とちからを求め最善を果たすことです。私たちができないこと、コントロールできないことについては神様に委ねることです。
兄たちによってエジプトに売られたヨセフのことを考えてみましょう。彼は自身の意思には関係なく、苦しみのどん底に突き落とされました。しかし彼にとっての唯一の希望は、彼が神の御手を見失うことがなかったということです。神様は彼が家族から引き離されて売られていく時も、牢屋に入れられている時もヨセフと共におられました。そしてヨセフも神様と共にいることを選んだのです。それゆえ彼の望まないあらゆる状況は、彼を(自暴自棄の)悪い方向へと変えることはありませんでした。むしろ、それら一つ一つの痛みを伴う経験が、神様と共にある彼を大きな器へと変えていったのです。神の摂理を認め受け入れる彼の生き様は、彼の兄たちに対するゆるしの言葉にあらわれています。(創世記45:7-8)彼は自分(がどう思った、どのような経験をしたか)ではなく、神様を主語にして語っています。

まとめ:神様の摂理の御手は私たちを祝福へと導こうとされている →神様が私たちの人生に関ってくださることは驚くべきことです。しかも神様は、良い(祝福の)意図をもって私たちの人生を計画し働いてくださるのです。私たちに大切なことは、神様が与えようとしておられる祝福を選び受けとることです。(申命記30:19)そのためには、一つ一つの場面において神様(の御手)を認めることが重要です。神様を認める(箴言3:6)とは、神様がすべての情報を与えてくださるから、神様に決定を委ねるということではありません。私たちには理解できないことが多くある中で、全知全能なる神様は、私たちの人生の中で最善の目的のために、最善の方法とタイミングで介入されるお方であることを信じることです。様々な経験を通して祝福へと導こうとされている神様の前にあって、あなたはどのように信仰を働かせるでしょうか。

 

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