町を歩くと画面をこすっている人を多く見かけます。スマートフォンは生活に欠かせることができないものとなっているようです。ある人々は「バッテリーがなくなってしまったら」、「落として壊してしまったら」と心配しており、スマートフォンがとても重要な存在となっています。それはある意味において、“スマートフォンに仕えている”人々の姿であり、それによって心が満たされている、あるいは満たされるとの想定の中で生きている人の姿です。私たちは皆 何かに仕えています。何かで心がいっぱいになっています。ある人にとってそれがお金であったり、自分の夢であったりします。
使徒パウロはエペソ3:7で「自分は福音に仕える者」と言っています。私たちはどうでしょうか。神様にお仕えし、神様のみことばにお仕えしているでしょうか。神様、そしてみことばに満たされているでしょうか。福音とは神様からの良い知らせです。福音によって神様の愛を知ることができます。罪のある人間は神様の愛がわかりません。しかし神様はイエス様をこの世界に送ることによってご自身の愛をあらわしてくださいました。十字架において神の愛があらわされました。このような私たちのために、罪のないイエス様は死なれたのです。イエス様を信じ受け入れる時に人は救われます。この福音は明確な救いのことばであり、これを私たちクリスチャンは持っています。
私たちはどのようにして「福音に仕える者」となるのでしょうか。それはまず①「神の力の働き」によってです。まことの神様はこの世界を創造されたお方です。いのちの源であられるお方です。そのお方には人の人生を変えるものちからがあります。ですからこのお方にお頼りして仕える者となることができるのです。そして②「神の恵みの賜物」によってです。すべての人に神様から(何らかの)賜物が与えられています。それを神様のために、教会のために、福音のために用いましょう。
私たちはそれぞれ違う場所に遣わされています。あなたの遣わされている場所が“世界の中心”です。それはあなたが周囲の人々に仕える場所です。あなたはどのようにお仕えしていますか。どのように福音に仕えることができるでしょうか。