人の歩みにおいて、目標をもちそれに向かって進むことは大切なことです。一つのことを完了する、手に入れる、そのプロセスにおいては苦労があり、辛さがあり、時には悔しさ、ふがいなさもあるでしょう。それらを経て、ある何かを成し遂げる、獲得することは大きな喜びであり、また同時に達成感を覚えることでしょう。
もしあなたが、今手にしている救い(に至るプロセス)について同じように考えているならば、聖書が教える救いを誤解していると言わなければなりません。あなたの救いの立場は、あなたの行った何かの結果では決してないからです。神様はあなたの救いのためにすべてを備えてくださいました。そしてあなたに求められていることは応答のみです。神様が準備して下さったものをそのまま受け取るということです。今回は、ことばなるお方への肯定的な応答について学びたいと思います。(ヨハネ1:12~13)
I. ことばなるお方を受け入れる意味 (12節前半)
12節の冒頭の「しかし」は人類に希望を与えます。人類すべてがことばなるお方を拒絶するわけではないということ、そしてこのお方に対しての肯定的な応答の選択肢、そして可能性があるということです。ことばなるお方を受け入れるとは、このお方を信ずることです。イエス様ご自身、そしてこのお方が主張されていることを受け入れ、このお方に自分の人生を委ねるのです。「その名」を信ずるとは、聖く完全なご性質を持っておられるイエス様ご自身を信じるということです。そして信仰は行動によってあらわされるのです。
II. ことばなるお方を受け入れる特権 (12節後半)
ことばなるお方を受け入れることによる祝福、それは神様の子どもとされることです。これは神様による「養子化」であり、神様の霊的子どもとなることを意味します。神様の家族の一員となる権利を有するということです。「自分は神様の子どもである」と宣言することができる権限を得るということです。その特権を神様が「お与え」になることには、救いの贈り物にかかわる神様の恵みが強調されています。神様の子どもとされた(救われた)者の中で、誰一人それを当然のこととしてとらえることはできません。またそうしてはいけないのです。(Iヨハネ3:1)
III. ことばなるお方を受け入れる結果 (13節)
ことばなるお方を受け入れる人は、新しく生まれさせていただくことができます。自分のためではなく、神様のために生きることができるように変えられるのです。この新生は人のわざではありません。人の側のあらゆる事柄、家系や民族、また人の願いや方法、それらが新生を実現するものではまったくないのです。救いは、究極的には、人の意志ではなく神様のご意志によって生み出されるのです。(ヨハネ3:3-8; テトス3:5; Iヨハネ2:29)それは神様による超自然的な奇跡のみわざです。
まとめ:ことばなるお方を信ずることにより、子としての特権を与え、新生を実現してくださった神様の深い愛を覚えましょう
あなたがイエス様を信じ受け入れたのであれば、救いはあなたに成就しています。永遠の約束は確定しているのです。救われるためにあなたができる(できた)唯一のこと、それは神様が成してくださったことを受け取る(受け入れる)ということです。罪の性質は、この「受け取る」という簡単なことを難しくさせます。しかし神様は様々な障害物を取り除き「まことの光」なるお方を受け入れることができるようにしてくださいました。それは神様の深い愛によることです。それを覚え感謝し神様に栄光を帰しましょう。