イエス様はマルコの福音書13章の「オリーブ山講話」を締めくくるにあたり、ご自分が再び来られること(再臨)への備えを勧められました。
①イエス様が来られる日は近づいているのです。イエス様はそのことをたとえでお話になりました。落葉樹であるいちじくの木は秋になると葉が落ちますが再び芽を出し春から夏へと季節が変わっていくのを伝えます。そのようにこの先に起こる 今までになかったような大きな苦しみの状況はイエス様が来られることが近づいていることを教えてくれるサインだということです。それは大きな苦しみの時であると同時に大きな期待をもつことができる時でもあるのです。神様の予定・計画によってすべてのこと(天体のこと・世の中のこと)は過ぎ去っていきますが 神様のみことばだけは過ぎ去ることはありません。神様は聖書に書かれたことを一つ残らず実行されるお方なのです。
②イエス様が来られる日は 正確にはわからないのです。イエス様が再び来られることは時間の問題ですが 正確な時は誰にもわかりません。イエス様でさえこの「時」はご存知ではありませんでした。私たちにとって「その日」がいつであるかを知らないことが最善であると神様はお考えになっておられるのです。大事なことは「その日」がいつであるかを知ることではなく、「その日」に向けて充分な準備をしておくことなのです。
③イエス様が来られる日まで 目を覚ましている必要があるのです。イエス様が再び来られるのを正しい態度で待つことが求められています。仕事を言いつけられて留守を任された人のように、主人のいない間(帰ってくるまでの間)その責任を注意深くはたさなければなりません。適当に遊んで仕事をいい加減にしているならば なまけている時に主人が帰ってきて恥ずかしい思いをすることになるでしょう。イエス様が来られるのを待っているクリスチャンもこの先目の前に起こるかもしれない出来事に心を乱されることがないようみことばをしっかり握り神様に祈りながらみことばを実行していく(みことばに従っていく)勤勉さが必要です。そうでないと来られるイエス様に申し訳ない状態をお見せすることになります。
聖書のみことばに従う歩みは 来られる主イエス様を待つ最大の備えです。イエス様を救い主と信じ、再び来られるイエス様を信じているクリスチャンは「今日 また一日イエス様が来られる日が近づいた」という感覚で日々の生活を送ることができます。目の前のこと、今自分が抱えている問題だけにとらわれ過ぎないために、いつもイエス様が再び来られることを含めたみことばの真実を確認する必要があります。地上で過ごす時間が少ない中でみことばを生活の基準にした選択・決断の積み重ねこそがクリスチャンにとっては大切な準備となるのです。