伝言ゲームは元のことばや文章が、順に人に伝わっていくにつれて、変化すればするほど楽しいゲームです。神様のからのみことば、良い知らせである福音も、人から人へと長い年月を経て伝えられてきました。しかしそのプロセスにおいて、神様が意図されたメッセージが異なったものへと変化していくことがないことは驚くべきことです。みことばが伝言ゲームのようであったならば、決して笑って済ませられるものではありません。神様はご自分の証しをずっと保ってくださっているのです。その証しのことばによってクリスチャンは永遠の解決と希望をいただいています。今回は神様から与えられた証しのことばについて学んでみましょう。(ヨハネの福音書 4章27~30、39~42節)
I. 証しのことばは イエス様と出会った者にある (27~29節)
食べ物の買い出しから戻った弟子たちは、サマリヤ人の女性と話しているイエス様を見て不思議に思いました。ユダヤ人にとって普通そのようなことをすることはなく、(特にユダヤの教師であるラビにとっては)不適切とされていたからです。
女性は水がめを置いて町に行きました。水がめを置いていった理由は明確ではありませんが、一つ言えることは、彼女にとって水を汲んで運んでいくことよりも優先すべき事態が発生したということです。イエス様に出会った人は、価値観が変えられるのです。
そして彼女は、イエス様との会話の中で体験したことを、率直にサマリヤの人々に語りました。それは整えられた福音伝道と言えるものではなかったかもしれません。しかし彼女の精一杯の証しのことばでした。イエス様に出会った人には、伝えるべきメッセージがあるのです。
II. 証しのことばは イエス様を信ずる者を生みだす (30、39、41節)
女性のことばを聞いたサマリヤの人々はイエス様のもとへと向かいました。イエス様についての証しのことばを受け入れる人(或いは少なくとも肯定的にとらえる人)は、行動を起こします。それは伝えられたことの中身を重要視し、個人的に受け止めるからです。神様のみことばには、人の内面を貫き、一番深い所に触れるちからがあるのです。
多くのサマリヤの人々は、女性の率直な証しのことばを聞いてイエス様を信じました。語られた証しのことばを、人々は個人的に認め、救いに至る信仰を持ったのです。
III. 証しのことばは イエス様を信じた者を確信へと導く (40、42節)
サマリヤの人々は、イエス様に滞在を要請しました。それは彼らがさらにみことばの教えを求めたからです。女性を通して聞いて信じたことがらをさらに深く確かなものとして知りたかったのでしょう。イエス様を信じた人は、さらに神様のみことばを受けることを求めます。教えられ、学び、信仰が確かなものとして成長していきます。単純に証しのことばを受け入れるところから始まり、成熟した信仰者へと階段をのぼっていくのです。
彼らはもはや“又聞きによる信者”ではありません。個人的にイエス様に出会った人々です。他人の証しにより築いた信仰から、自身の体験の上に築かれた信仰へと変えられていった人々です。彼らはイエス様が「ほんとうに世の救い主」であることがわかりました。ユダヤ人だけでなく、自分たちサマリヤ人、そして世界中の人々の救い主であることを知ったのです。
まとめ:イエス様を信ずる者にあたえられる証しのことばは、次の信仰者へと受け継がれていく
一人一人のクリスチャンは“前のクリスチャン”から、証しのことばを受け取りました。ではその証しのことばであるバトンを誰に渡すのでしょうか。あなたは誰に渡したでしょうか。あなたの証しのことばは充実しているでしょうか。あなたはどれほどイエス様を知っているでしょうか。どれほどイエス様から学んでいるでしょうか。あなたの証しは行動にあらわされているでしょうか。イエス様の救いを経験している者として、その素晴らしさがあなたの振舞いにあらわされているでしょうか。私たちクリスチャンには神様からのまことのメッセージがあります。神様からの決して変わることのない証しのことばを忠実に保ち、次の者へと手渡していく者とならせていただきましょう。