イエス・キリスト様は私達の罪の問題の解決のためにご自分をささげてくださいました。(ヘブル9:28) 神様が、救われたクリスチャンに求めておられる「ささげること」は「従うこと」からさらに前進したことと言えます。(ロマ12:1) 「ささげること」は自分が持っている何かが他者の所有物となったことを認める行為です。イエス様を信じて救いをいただいたクリスチャンの中には聖霊なる神様が住んでおられます。そのためクリスチャンは最早自分自身の所有物ではなく神様の所有物なのです。この事実が結果的には自身を神様に「ささげること」の理由となります。(Iコリント6:19-20)
イエス様の十字架の死は人が神様の所有になるという神様に造られた存在としてあるべき姿を実現しました。イエス様の流血を伴う死によってあがない(買い戻すこと―救われること)が可能となり 神様との関係を再び正常にすることが可能となったのです。(エペソ1:7) そこには私達が「したがわないこと」からあがなわれる(買い戻される―救われる)ことも含まれています。このような神様のお取り扱いに注目する時 救っていただいたクリスチャンは神様によって特別に選ばれた人々であると認識することができます。(テトス2:14)
私達クリスチャンの多くは先祖・親から偶像(悪鬼)礼拝を受け継いできました。そのような中からのあがない(買い戻し―救い)のために傷・汚れのないイエス様の尊い血がささげられたのです。(Iペテロ1:18-19) そのことを想うとき私達が神様に自身を自発的にささげることは当然のことと言えます。すでに神様の所有となった私達は生きることも死ぬことも神様に委ねる(ささげる)ことができるのです。(ロマ14:8)