神様を本質的に見た人は誰もいません。しかし神様はご自分の「ふところにおられるひとり子」イエス・キリスト様をこの世界にお遣わしになることによってご自身を説明してくださいました。(ヨハネ1:18)イエス様が父なる神様の「ふところ」におられたことは、イエス様が父なる神様の方に向いておられ、そこに親密な関係があることがうかがえます。
父なる神様がイエス様に万物をお与えになっていることは、父なる神様のイエス様に対する愛を表しています。(同3:35)イエス様は創造のわざにも参与され、すべてのものの上に権限をもっておられます。また父なる神様のイエス様に対する愛はご自分のお考えをすべて分かち合うことにも表されています。(同5:20)イエス様は父なる神様のお考え(御心)を知るだけでなく(いのちを捨てるところまで)それにお従いなさるため、父なる神様からの愛をお受けになります。(同10:17)実は同等の愛を私たちクリスチャンは神様から注がれており、その愛の中にとどまることが勧められているのです。(同15:9)
私たちは父なる神様が御子イエス様を救い主としてこの世界に遣わしてくださったこと、また神様がどんなに私たちを愛してくださっているかを知る(知り始める)者たちとされました。今度は私たちクリスチャンが心を一つにして神様に愛されていることをこの世界にあらわしていく役割をいただいているのです。(同17:23-24)私たちはイエス様との愛の交流の中に入れられています。(同17:26)私たちはこの愛に基づいて救われ、この愛の中に保たれているのです。このことを改めて認識し、神様の愛をこの世界に示していこうではありませんか。